降る雪に願えるなら 6




 山口一、19歳大学生。それが今の彼の自己認識だった。
地元の名士の息子と諍いを起こし、故郷を離れる約束で和解にこぎつけた。だから下宿が必要なほど離れた土地の大学に通っている。
 家族に負担をかけるのを嫌って奨学金とバイトで学費を賄っていたが先日武芸大会の賞金という形でまとまった金を得た。
 生活に余裕ができた。だからだろうか。近頃今まで気にも留めていなかったことが妙に心に引っかかりだしていた。
 下宿を始めてから見るようになった風変わりな夢のことが考え事の大部分を占めるようになっている。 
 ―――――刀の夢。
 夢の中で人を刀で切っていた。その向こうに移る景色は、時代劇並みに古い町並みだ。
 だがわかる。知っている町だ。京―――――
 その場面だけが定期的に夢に現れる。
 不可解だった。彼は生まれてこのかた京都に足を踏み入れた覚えはない。
 人を斬るのが自分に隠された願望なのではないかと疑った。
 もとより刀や剣術が好きな性分で彼の御眼鏡に適う使い手が先日の武芸大会までなかったのだ。剣に関して更なる刺激を求め、人を斬りたくなったのかもしれない。
 ため息をついた。
 仕方ないならともかく積極的に人を斬り殺す気はない。しかしどうして胸につかえがのったような気分がするのか。
 京
 その土地へ行ってみればいいのか。
 武芸大会終了後のことを思い出した。
 
 あいつも京と口にしていたな…。
 なぜ京なのか。

 少し話を訊くくらいは良いだろう。
 整理整頓の行き届いた性格が幸いして渡された電話番号のメモは引き出しに仕舞ってある。
――――待ってるから。オレも、この子も。
 待ち伏せていた三人の顔が浮かぶ。
 番号を渡してきた少年だけではなく黙って立っていた少女も連絡を待っているという。
 考えたがやはり意味が分からなかった。
 山口一はその容姿と冷静沈着な性格から女性の関心をえることが多く、一方的に電話番号を渡されたり、追い回されて関係を迫られるのに辟易していた。
 先日の少女も別れてからも彼を追いかけて駐車場まで来たのだ。
 あの少女もその類の人間の可能性は高い。
 だが一瞬の視線の交錯。あれに彼はほんの少し心を動かされかけていた。
 大人しげで庇護欲を誘う風情を持った美少女。
 しかもその瞳は澄んでまっすぐ彼を見つめていた。
 心の底から言葉を発することの出来る者の瞳。あの目に見つめられてささやかれる言葉は世俗の嘘や偽りといった汚れとは無縁と信じられそうな…。
 考えを振り払う。
 馬鹿らしい。いくら美少女だったからとはいえ碌に知りもしない女を信頼をよせるに足ると思うなど。
 しかし真摯な瞳が頭をちらつく、胸にのしかかる。
 携帯電話を手に取った。だめだ。まだ番号を相手に教えるのは無用心にすぎる。
 メモを手に彼は最寄の公衆電話を目指すことにした。
 
「はい、もしもし…」
受話器越しに聞こえたのは少年ではなく少女の声だった。
謀れたらしい。なのに少女が出たことが嬉しい、だが自分でも不可解な心の動きは悟られたくはなかった。隠すため彼はわざと声を低く落とす。まるで怒っているかのように。
「何故あんたが出るんだ」
「それは…ごめんなさい。平助君が渡したのは私の番号だったんです」
「……」
「待って切らないで下さい。何か…こちらに聞くことがあったということですよね?」
「ああ、そうだ。俺は京都に行ったことなどない、がお前たちは俺と京の繋がりがあると思っているらしい。それは、何故だ?」
「…一言で説明するのは難しいんですが。はじめさ…いえ、山口さんが京都に行った覚えがなくても居たことはあるんです。京でのこと……なにか?」
 年下の少女に自分の見た夢を仔細に話すのは憚られ「特に何も」と答えた。
 しかし覚えがなくとも京を訪れている、など少女の説明も的を得ない。
「俺が仮に記憶はないが京都にいたことがあるとして、お前たちと俺とどう関わりがあったというのだ?」
 少女が息をのむのが聞こえた。
「私や、平助君や原田さんはみんな仲間だったんですよ」
「仲間だと?」
「はい、志を同じくした仲間、だと私は思っています。一さんは…」
「下の名で呼ぶな。俺はろくに親しくもない人間に馴れ馴れしくされるのは好かない。…もういい。切るぞ」
「待ってくださいはじ…山口さん!また、かけてくださいませんか。私必ず出ます。ですからどうか…」
 声しか聞いていないのに必死に電話を持つ姿が想像できる。 
 嘆息して彼は最後に一言付け加えた。
「…考えておこう…ではまた」
 自分から通話を絶ったのに受話器を耳から放す気がすぐに起こらなかった。すでに聞こえてくるのは耳の痛くなるような電子音だけで。
 受話器をフックにかけて公衆電話のボックスを出た。
 またかけて欲しいと請われ、今度は期待させるような返事をしてしまった。
 かけるのだろうか。
 答えはわかっていた。
 今すぐにでも、彼女と話してみたいと思う。
 どこにいるのか。年齢は。そんなにも自分と接触をとりたいのか。
「雪村…千鶴]
 一度だけ耳にした彼女のフルネームを呟いていた。
 耳慣れない名だ。
 途端、我に帰ったように千鶴のことを心から締め出す。
 風邪でもひきだしたに違いない。
 頭の芯が熱いような気がする。それに気がかり事の鍵を握っているかもしれないとはいえ女性のことばかり考えるなど。
 自分らしくない。実に自分らしくない日だと彼は風邪薬を買ってから下宿へ戻っていった。
   


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やっと斎藤さん視点の話。
でもやりにくかったっ…。
そろそろ最初の3、4区切りで終わらせる。
が嘘っぱちになってきました…。
現状需要調査で一番になってるし。
中途で切り上げず出た風呂敷をきちんと広げきってから収束させることになりそうです。