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降る雪に願えるなら 18




 足を踏みしめた音が大げさに反響する。足元がが金属板でできているためだ。
 千鶴はせいた気持ちで何か突破口になるものはないか捜し求めていた。
 新選組の仲間と別れて車に乗った。原田と一緒に乗るはずだったのに、運転手が「仕事を果たせなくて困る」と強引に説き伏せてきたので別々の車で帰ることになったのだ。ところが途中で止まった車にさらに、他の人物が乗車し、千鶴をこの…研究施設に連れてきた。
 どこかに残っている変若水 ―― 唯一土方の手配以外で隠された、斎藤が知っているはずの変若水 ―― のことを聞かされて協力を求められたが千鶴はそれを断った。
   結果、斎藤を呼び寄せるための手段として使われて、今はこの薬品か何かの生産設備室内に設けられた金属製の足場が千鶴の居場所だ。
 パイプ椅子に座らされた状態で縛られ、柵に括りつけられている。
「貴方は変若水の恐ろしさを良く分かっているはずでしょう!どれだけの人が犠牲になったかを一番よく…」
 傍らで斎藤の到着を待つその人は千鶴が強くにらみつけても、言葉で煽っても受け流すだけだ。
「その犠牲を無駄にしないためにも、現世で再び成果を出すべきなのです。それでこそ、犠牲者達の魂は救済される」
 千鶴は大きくかぶりを振った。
「そんなの間違ってる。やめてください…山南さん…」
 千鶴を振り向くその顔はあいも変わらず、内心を移さない笑顔を湛えていた。
「貴方に何がわかるというのです。伏見で戦いの火蓋が切られて以来、私達の元から去った貴方に…何が。圧倒的に敵わない兵力を相手にして、羅刹化だけを頼りに羅刹となり、それでも負けて…何にもなることができなかった彼らの無念の何が。彼らで行われた人体実験に関する情報を持つ私は変若水から治癒力や、肉体強化の効能だけを抽出した新薬を作るべきなのですっ」
「そんなことできないっ。できなかったじゃないですか」
「現在の技術を持ってすれば、不可能と言い切れません」
「…それでも新たな犠牲者は出るでしょう」
「これまで払われてきた犠牲と比べればわずかな人数で真の完成を見ることができます」
 平行線だった。
 この研究所につれて来られてからずっと。
 彼は、山南はこの現世でまで羅刹たちの犠牲の意味を見出そうとしている。
 前世で羅刹隊を率いた彼は結局、羅刹たちの存在意義を見つけてやれることができなかった。
 だれも省みなかった羅刹たちの存在の意味を、最も羅刹と接していた優しい山南は今でも探し続けてる。それでも千鶴はその手段に変若水を持ち出すことを認められなかった。
 あれは世に出してはいけないものだ。
 山南はいくら努力しても斎藤に記憶が戻らないとなったらどうするのか。
 斎藤の現世での生活を破壊してしまうのではないか。
 だから、斎藤を来させたくなかった。
 自分はいくらでも耐えられると思ったのに、かすかな声を聞き逃さなかった彼はここへ来ることとなった。
 悪い想像ばかりがめぐって、こうして待っているだけでも苦痛だった。
 どのくらいの時間が経ったかわからない。
 縛られた手首がしびれだした頃、金属の扉が開く音がした。
「…警備もろくにおかないとは、俺も見くびられたものだな」
 黒いジャケットを羽織った斎藤が立っていた。グローブを嵌めた左手には木刀が握られている。
 山南が前へ歩み出て斎藤を迎える。
「お久しぶりです斎藤君」
「…あんたとは初対面だが」
「いいえ、長らくお会いしませんでしたがこれは再会なのですよ。百五十年、これだけの時が経ったにもかかわらずあの頃のままの君を見ているのが不思議です…」
「何を馬鹿な」
「…困りましたね、君に再会を喜んでいただける状態になっていただけないと私の目的は達成されないのですよ」
 覚えていない斎藤を前に山南は一体どういうつもりなのか、千鶴が見守っていると山南は壁の、作業用の工具を直すロッカーから一枚の羽織を取り出して斎藤へ投げた。
 浅葱色の羽織が鮮やかに宙を舞う。
「どうです?隊服を再現してみました。貴方が忠誠を誓った組織のこと、思い出しませんか新選組のことを」
 隊服に目を落とした斎藤だったがやがて静かに浅葱の衣を床へ落とす。
「何のことだか」
 その言葉に裏がないか山南は穏やかに斎藤を見詰める。
「…隊服では駄目ですか、そうですね。貴方は会津での別れ、あの時に隊と土方君の手から離れたのですからね。記憶を呼び起こすほどの感傷がなくても当然です。ではこれではどうでしょう?」
 再びロッカーから取り出された長物が床を滑って斎藤の足元に届く。
一振りの刀だった。思わず拾い上げて斎藤はうめく。
「これは…?」
「模造したものですが君の愛刀ですよ。鬼神丸国重、かつての貴方の魂です。少しは覚えがあっていいかと思うのですが」
 刃こそ潰してあるが大きさと拵えに覚えがある。
 人を斬る斎藤の夢に出てきた刀、悪夢から現出したような存在なのに妙に懐かしい。
「君はそれとそっくりな刀で幾人もの人間を斬った。それは冷淡に、常に前線で戦いそれでも生き残ってきた君は誰よりも多くの人間の命を奪っていた」
「黙れっ」
 斎藤の怒号が金属で構成された生産設備室にこだました。
 持ち前の冷静さで落ち着きを取り戻した斎藤は静かに話をきり出す。
「あんたが俺に何を求めているか知らんが雪村を開放してもらおう」
 しかし山南の首は横に振られた。
「いいえ、貴方が過去を思い出し、会津の地に埋めた変若水の在り処を答えるまでは逃しません。思い出してください、自分が何者だったか」
「俺は…俺だ。山口一だ」
「それでは駄目なのですよ」
 山南が千鶴を立ちあがらせて首に腕を巻きつけた状態で前へ出す。
 人質があることを示す典型的な体勢だ。
「雪村君も、何も覚えていない君など必要としていません。彼女のためにも取り戻すのです。新選組三番組組長斎藤一としての人生を」
 きつく首元を圧迫されるさなか、千鶴は斎藤の自分を見る瞳が悲しげにそらされるのを見た。
 斎藤一、その人を求めていた。
 過去を思い出していないから、自分達の間の距離は埋められないと思っていた。
 けれど違う、記憶が戻らなくても千鶴が彼の魂を思う気持ちに変わりなく。
「違う!!」
 千鶴は山南の腕にのど元をふさがれながらも精一杯の声を出す。
「違います!私には必要なんです!だって、私が好きなのはこの人だからっ。前世のことを覚えてなくても好きだから。生きてさえいてくれるなら、これから思いだって記憶だって埋めていけるんです!」
 ため息を漏らしながら山南が首を振る。
「……ならば結構です。雪村君、君には違う形で役に立ってもらいましょう」
 千鶴の口を塞いだ山南が足場の端へと移動する。柵がないその部分から下までは20メートル以上ある。硬いコンクリートの上に落ちれば命はない。
 危ない、と山南も言うまでもなく知っている。だからこれは…。
「斎藤君、君には前世では見ることのできなかった恋人の最後を見てもらいましょう。私に思いつく記憶への最大の刺激です」
「やめろっ!」
 斎藤が飛び出すのと同時に突き放された千鶴の足元から床が消えた。


 空を切るけれど足を動かせる。右腕が千切れるほどに痛い。
「動くな、今引き上げる」
 搾り出すようにかけれれた声は斎藤のもので。
 間一髪千鶴の右手首を捕まえた斎藤は千鶴を引き上げ始めた。
 人一人を引き上げるのは中々に重労働らしく、斎藤の表情は硬く、血の気がない。
 千鶴を引き上げ終わった斎藤がよろめきながら立ち上がると腕組みして静観していた山南が動く。
「お見事です。どうです?思い出しましたか?まだなら次は雪村君をどうしましょうか…」
 額の汗をぬぐう腕が離れると、闘志に満ちた斎藤の瞳がまっすぐ山南を捉えていた。
「ここまで、する必要があることなのか…」
「もちろんです。どいてもらいましょう、雪村君が暴漢にでも襲われれば記憶が戻るやもしれませんからね」
 笑みの形のまま淡々とつむがれる冷酷な言葉の数々。
 斎藤の激昂は炎となって見えそうな勢いで。
「断る、彼女は俺が守り抜く!」
 斎藤は床に落ちていた鬼神丸国重を拾って構えていた。
「俺にこれを渡したのは間違いだったな」
「わかりました。相手をいたしましょう」
「…赤心沖光か」
 山南の出した刀の銘を斎藤が難なく当てる。
「君にだけ刀を渡すはずがないでしょう。死なせては困りますから刃は潰してありますが…さあ、来なさい」
 カンッと金属の板を蹴る音がして斎藤の体が山南へと突撃する。
 しかしかつてその変則的な動きで無敵を誇った左の居合いを、よく覚えている山南は受けることに成功した。
 切り結んでも斎藤の癖を覚えている山南が有利で、記憶がないばかりに見知らぬ剣に相対する形の斎藤は苦戦を余儀なくされた。
 幾度か斬り結び、離れては膠着する。
 ついに斎藤が山南の左胴を狙ったとき、山南は勝利を確信した。
 左胴を狙うと見せて実は手を狙う、斎藤のフェイントをかけるときの癖を覚えている。
 記憶はなくとも体の覚えた剣術は従来どおりだ。
 フェイントをそれと知る山南のほうが対応が速い。
 しかし、斎藤のフェイントを読んで刀を繰り出したはずの山南に驚きが走る。
 過去何度も手合わせした際の例を覆して、斎藤は以前として左胴へと刀を進ませて。
 自身の失策に気づいたときには山南の反応速度では対処できないほどに刃が体に肉薄していた。
 山南のわき腹に衝撃が訪れる。
「そうか…君は先ほどの事で………さすがですね……」
「斎藤さん!山南さん!」
 駆け寄った千鶴を一瞥し、斎藤が言う。
「気絶する程度に打っただけだ。斬れてはいない」
「…よかった」
 山南はまだ千鶴と斎藤を狙うかもしれないが、ここを出ることができれば土方の組織力に助けてもらうことができる。
 ひとまずの解決。
 ふと、山南とのやり取りの中で自分が言った台詞を思い出して千鶴の顔は紅潮した。
 斎藤はあの告白をどう思っているだろう。
「あの、斎藤さん!」
 呼びかけた背中はなぜか千鶴を置いて出口の扉に向かっている。
 想いをぶつけるのはまだ迷惑だろうか。
 せっかく千鶴を救い出したのだから、勝利の余韻を胸に千鶴をエスコートするくらいいいだろうに。
「斎藤さん!待ってくださいよ」
 すたすたすた。
 ついには出口の向こうへ行ってしまった。
「…もうっ」
 倒れた山南は置いておくとして、千鶴も斎藤の後を追って金属製の足場を降り、開いたままの扉へ向かう。
「斎藤さんってば、呼んだんだからせめて振り返ってくれたっていいのに…」
 はたと。扉の前で気づくことがあった。
 ひょっとすると…と。
「もしかして、…一さん?」
「ああ」
 完全に去ってしまったのではなく、出口のすぐ横で待ち伏せしていた斎藤がひょこっと顔を出して返事をし、そのまま目を丸くした千鶴を抱き寄せた。
 斎藤の顔が至近距離に寄せられる。
 唇が触れあいそうな距離を保って斎藤はふっ、と微笑み、その唇を千鶴の唇に重ねる。
 変わりない感触を確かめるような口付けは千鶴を壁に押し付けるほどの激しいものへと変化した。
 唇が離れて千鶴はただ斎藤を見つめる。
「……思い出したんですね」
「ああ、そうだ」
「いつの間に思い出したんですか!」
「落ちそうなお前を助けた時に」
 抱きしめてくる腕の中で千鶴はジャケットの胸元を握り締める。
「…もう思い出してはくれないと思ったんですよ」
「しかし、山南さんと俺に切ったタンカは真実だったはずだ。思い出さなくともお前は…」
「はい、一さんが好きです。でも思い出して頂けたのでやっと言いたかった言葉が言えます」
「…?」
 首をひねる斎藤に千鶴は前世で最後に見た彼の姿を重ねる。
 黒い着物に浅葱色を羽織り、長い髪を束ねて額には鉢金が鈍く輝く姿。
 山から奉行所への砲撃を止めるため、三番組を率いて千鶴の見送る中奉行所を後にした在りし日。
「お帰りなさい、一さん」
 ずっと言うことが適わなかった一言、斎藤は新選組に戻ってきたが事態は千鶴に斎藤の帰りを待つことをゆるさなかった。
「……やっと戻れた。お前の元に」
 千鶴は再び力の込められた両腕に抱かれる。
 こうして百五十年越しとなったあるべき場所への帰還は果たされた。




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さ、山南さんが超悪人になってしまいました…。
オリキャラを排したかったため配置的にどうしても…。
でも記憶復活斎藤さんかけて満足です。ようやくこの場面にたどりついたよっって感じです。