降る雪に願えるなら 19




 砲撃の音と、煙で曇る視界。
 戦場に斎藤は立っていた。
 会津が、落ちてゆく。
 そして彼の命も尽きようとしていた。
 胸から零れ落ちる鮮血とともに、羅刹になってまで保った命が流れ落ちていく。
 しかし彼の心は穏やかでもあった。
 滅私を尽くした新選組、それを離れてまで守りたいと思ったものを、武士であることを貫き通して果てることができる。
 ちくり、と胸を痛ませるのは千鶴のこと。
 合流はならなかったが無事だと伝え聞いている。
 彼女に一目会いたいという気持ちはもちろんある。ちゃんと祝儀をあげて子を産み育て…そんな生活を送れなかったことを残念に思う気持ちがある。
 けれどこれで良かったという思いが強い。
 千鶴が隊についてきていても武士としての自分を曲げれなかっただろう、祝儀どころかこの絶望的な戦地への未来しか彼は千鶴に与えることができなかった。
 血まみれの手から鬼神丸が左手から滑り落ちた。
 斎藤は夏草の茂る地面に倒れこむ。
 霞んだ景色、これが自分の最後にみる景色だと実感する。
 まだやりたいことはあった。けれど満足でもあった。
 少なくともこの戦乱の時代にあって千鶴の死を見ずにすんだ。
 彼女が生きているのなら。
 それだけで、充分だ。斎藤は満たされた思いで死を受け入れた。


「お前が落ちて死ぬかもしれないと考えたあの瞬間、今度こそお前と共に生きて年月を経ていく―それがかなうと思ったのに―そんなことが胸をよぎった。眩むほどの記憶が流れ込んできたが、俺は掴んだ手を離さぬよう意識を保つことに集中した」
 研究施設の廊下を歩きながら斎藤は千鶴にとつとつと、前世での最後や現世での思いを語っていた。
「これで途中から思い出したのは一さん、平助君、永倉さんの三人になりましたね。あとは近藤さんだけですけど…一体どうしたら思い出してくれるでしょう…」
「俺が思うにきっかけは『悔恨』ではないだろうか」
「え」
「死ぬ間際の未練として思ったわけではないが、前の人生でお前と共に生きれていたらと残念なことは多かった。今はそれが叶わない世でもない、叶えようと思えば叶う。手に入りかけていた。なのに、お前が死んでは実現不可能になる。心の奥底にある記憶はそれで揺さぶられた。『また叶わず終わらなければならないのか』と」
 思い当たる節があった。ずっと昔に、千鶴が海外へいくと聞いて倒れた平助や、原田と同じ陣営で戦えずに昏倒した永倉。
「そうだったんですね…」
 しみじみと呟いて建物を出た二人を迎えたのは木刀で武装した土方、沖田、平助、原田、永倉だった。
「千鶴!無事か!!」
「平気そうじゃん、せっかく大きな立ち回りだと思ったのに」
千鶴の無事を喜ぶ声の中、斎藤は一人土方の前へ歩み出る。
「お、どうした斎藤」
「副長にかつて丁重に扱って隠せと命ぜられた変若水の件でお話があります」
「…お前…思い出したのか」
 驚きを見せる土方に斎藤は微笑して頷く。
 感慨を横において報告を続ける。
「変若水の行方ですが、もう現存はしていません。会津での戦いの際、全ての瓶を割りました。俺を最後に羅刹はあるべきでないと考えたので」
「お前それは…」
「命令を破って行いました」
 土方の笑い声が響く。
「そうかっ。今となっちゃいいことさ、お前は隊から離れたんだから最期まで俺の命令守り続ける道理はないな。いや、良くやった」
「僕たちは無いもののために奔走してたってわけか」
 沖田が独白を終えたその時、何かが地に付く音がした。
 建物の出入り口の扉だ。
 見れば山南が膝を突いていた。
 今のやり取りを聞いていたのだ。
「そんな……、変若水が……すべて」
 山南の登場に驚く原田、永倉、平助。一方、予想していたのかすんなりそれを受け止めた土方、沖田が山南に近づく。
「久しぶりだな山南さん。しかし西郷製薬をバックに変若水にちょっかいかけてくるとはな……」
 土方から目をそむけて山南は憂う。
「……どうでもいいことです。こうして生まれ変わってまでも私は羅刹となって散った者たちに何もしてやることはできませんでした……。彼らの隊長として、なんて情けない……」
「そんなこと、ないと思うぜ?」
 山南に寄り添うように傍へしゃがみこんだのは平助だった。
「羅刹になって、身体的に最後まで戦う力が手に入った。でも血が欲しくて狂いそうになりながら最後まで戦っていけたのは、山南さんが羅刹の先頭に立ってくれたからさ。山南さんがいなきゃ、俺も組下の連中も狂って命を中途半端にしかつかえなかった。命を精一杯、変若水ってズルしてでも目一杯使いこなせたから、それだけで羅刹隊のみんなは満足してるよ」
「……藤堂君、君は優しいままでいられたみたいですね。安心しましたよ」
 言って山南は立ち上がり、背を向ける。
「山南さん!どこへ!?」
「私は前世から見えていなかったことが多かったようです。そのためにせっかく巡り合った同志にひどい仕打ちをしてしまった……ここの研究資料を破棄して、西郷製薬を辞めます。あとはどこへなりとも……」
 その背に平助が声をかける。
「また新選組作ったばっかの時みてえに一緒にはいれねえのか?」
「山南さん、石田製薬に来い!変若水の研究はできねえが、うちの会社であんたの居場所を用意してやる。それじゃ……だめか」
  土方の呼びかけにも山南は振り返らない。
「はい。納得いきません。……斎藤君も雪村君、君たちは私のしたことを「許す」と言うかと思います」
 その通りだ。突き落とされそうにもなったけど、無事でここにいる。斎藤の記憶も戻った。ひどい事をされたし言われたけれど、昔からの仲間なのだ。変若水という確執の元がないのだから許すことはできる。
 千鶴がそれを伝えようとする前に山南の言葉が続く。
「けれど、私は今しばらく君らに合わせる顔がない。他の皆さんにも、……せっかくですが、さらにもう一度、生まれ変わったと思ってやり直したいんです。だから、……その日までお別れです」
「山南さん! みんな、待ってますから。必ずまた、会いましょう」
 声をかけた千鶴に答えず、ぶれることなくまっすぐに、山南は扉へと向かって静かに同志たちの前を去っていった。
 全員が何も言わず、彼を見送った。いつの日かまた以前のように笑い会える日が来ると信じていたからだった。


 変若水の騒動から一月が経過した。冬がいよいよ厳しさを増したある日、元新選組の転生者たちは宮川道場で派手に祝賀を行っていた。題して、『記憶復活祝賀会』。斎藤の記憶復活をヒントにした土方と沖田の苦労が実り、昨日ついに近藤が記憶を取り戻したからだ。
「おれ達三人で飲んでた頃には夢にも思わなかったよなー。みんなでまた集まれるなんて」
「飲んで、は駄目だからね平助君。これで一段落したんだからあとは受験勉強の追い込みです」
「今日だけ、みんな思い出しためでたい日なんだからさ」
「駄目です」
「千鶴は相変わらずきびしいねえ」
「せっかく再会したってのに、酌み交わせねえとはお子様は大変だなあ」
「うるっせえ、見せ付けんなよ!」
 原田が平助の前で杯を飲み干し、永倉と笑い合う。
 良かった、本当に。
 千鶴の視線が宴会場と化した道場内をさまよって、すぐに目的の人を捉えた。
 土方の後ろに陣取って、杯を重ねているその人の元へ、千鶴は足を運ぶ。
「一さん、どうですか」
 杯に口をつけながら斎藤は千鶴を一瞥した。
 コクリと酒を飲み干して千鶴の腰を抱く。
「あ、あの一さんっ」
「酔いが回ったようだ、外で少し醒ましたい。お前が支えてくれないか」
 さほど酔った様子も無いのにそう言って、ひっそりと千鶴を外に引っ張りだす。
 盛り上がる道場内でそれに気づくものはなく――実際のところ土方と沖田は気がついても見てみぬ振りをしたので――凍るほど空気の冷えた屋外に二人きり。
 千鶴が寒さに身を抱けば斎藤の手が肩に回った。
「薄着だし、上を取りに戻ったほうがいいんじゃないですか?」
 自分はともかく、斎藤の薄着が気になっての発言だった。ところが斎藤は千鶴がまだ寒いからそう言い出すのだと思ったらしく、千鶴を後ろから抱きしめてその腕の中に閉じ込める。
「あの、わたしではなく一さんが……」
「もう戻っている時間はない」
「え……?」
 言葉の意味はすぐにわかった。
 はらはらと、空から白い切片が落ちてきた。
 続いて舞うように氷の結晶が降ってくる。
 やっと、二人で見れた雪。
 千鶴が嬉し涙で潤んだ瞳を擦れば、一段と抱きしめる腕に力が込められて。
「私は暖かいですよ一さん」
「長い間、お前が寒くて震えていても何もできなかった」
「これからは、そうではないでしょう?」
「お前を守ると誓ったからな。傍に居なければ、守れない」
 ふと、千鶴は頬に斎藤の髪が当たるのを感じた。すぐ近くに斎藤の顔が寄せられたからだ。
「ずっと、傍にいてくれますか?」
「ああ、例えまた生まれ変わっても。必ずお前を守り抜く」
 触れた唇は熱く、額に下りてきた雪はすぐに溶けた。
 死ですら別つ事ができないほど、二人はお互いとの固い結びつきを感じていた。
 もう雪に願う必要もないほどに。


END

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なんとかここまでたどり着きました。
だいぶペースが落ちてごめんなさい
ワードのページで80Pほど、自分にとっては長い話でした。初めてです…。
途中ここまで長くしちゃって読んでる人だれないかな。とか
そもそも自分まとめられるのか、とか不安になったんですが、応援の言葉をくれた方々がいてこそ迎えれた大団円です。
ありがとうございました!!