降る雪に願えるなら 17




 沖田の唱えた記憶残存の法則に皆あっけに取られている。
 未練があったから…それが真実であると考えて、千鶴の胸に記憶を取り戻す手がかりになるのではという喜びと黒い霧のような疑念が立ちこめる。
その通りというのなら千鶴には斎藤と離れて向かえた死が未練になったのに、斎藤にとっては違っていて、満足に逝けたということになる。
 彼は…彼にとって自分はその程度の存在だったのだろうか。
 想いの天秤が釣り合っていなかったと考えるのは辛いことだった。
 斎藤との距離が遠い、千鶴は彼が何を思って前の生を終えたか知らないのだ。
見つからなかった頃や武芸大会で再会したときより千鶴と斎藤の距離は縮まったがそれでも新選組の頃ほど縮まらない。
二人の間に三番隊組長が何を想って逝ったのか、その謎が横たわっている。
 沖田の仮説をすっかり信じ込み、俯いている千鶴を見かねて平助が呟く。
「でもよ、それだけじゃ一君や近藤さんが記憶を取り戻すわけじゃねえじゃん。俺らが思い出したきっかけもわかんねえし」
「だから、平助と新八のケースをよく調べる必要があるんだ」
「そんなの詳しく覚えてねーよ。もう何年も前なんだぜ?」
「いいから、覚えてる限りの状況、心情を話してもらおうか」
 晩御飯の席は沖田と土方による平助、永倉の尋問と化してしまった。

 食事を終えて土方は料亭で皆と別れた。各自に送迎を手配して帰宅させ、  沖田だけが後で到着した土方と同じ車に乗って石田製薬のオフィスにいる。
 この一日で新たに得た情報を整理し、新たに打てる手立ての采配をしなくてはならない。
 沖田は取締役の椅子で腕組みしている元鬼副長に話しかける。
「それで、新八は知ってた?」
「いや、全く。その時あいつはもう隊を抜けてたからな」
 前世のことを聞きながら喉から手が出るほど欲しい情報について探ったが成果は芳しくない。
「そもそも、一君が重要事項を漏らすなんてなさそうだからね…」
 沖田の言葉を止めたのは携帯の振動音だった。
 土方が取り出した端末を耳に当てる。
 通話が終わって彼が沖田に向けた視線は良くない報せがあったことを言葉より雄弁に語っている。
「五稜郭の所々に掘り返された形跡があったそうだ。次は…会津を狙うだろうな」
 もう、猶予はない。
 土方のため息を沖田が聞き逃すはずもなく。
「会津中を手当たり次第に掘り返すなんてできない。狙われるだろうね、一君が」
「まったく、あいつが覚えてりゃさっさと片付くってのに」
「明日にもみんなに話しましょう。黙って片付けるのは無理だったんだし、千鶴ちゃんにもっと頑張ってもらって一君の記憶を取り戻させなきゃ」
「しかし、なあ…」
「ためらうなんて土方さんらしくもない」
「…やっと揃って、再会を懐かしんでるとこに水さしたかなかったんだよ。………変若水が残ってる。その上、狙ってる奴がいる。なんて…なあ?」
「でもいい加減ばらさなきゃ水臭い、もう潮時ですよ。自分で撒いた種でしょう」
 沖田の容赦ない言葉の連打にぐっと土方は言い詰まる。
 変若水を厳重な管理の下とはいえ隠し持ち続けることを選んだのは、隊を預かった自分だったから。
 転戦の拠点となった各地の地に隠して埋めた。
 藁にもすがるほど力を欲した戦場であの小瓶を残らず割ってしまうことをためらって、いつでも頼れるよう地にうずめるだけで済ませてしまった。
 百五十年余りの時がたったとはいえガラスの瓶に残った成分を調べることはできる。
 設備があれば変若水の再現が叶うだろう。
 でも、あれは世に広めていいものではない。

 改良すればいとか、有効利用とか言う御託はもうクソ食らえだ。

 犠牲の山を知っている。
 だから土方は自分の持つ記憶が、百五十年前の事実だと判明した時点でそれらの戦地に埋めた変若水を掘り当てては廃棄した。
 五稜郭の分もすでに片付けた。
 だが唯一つ、土方自身埋められた場所を知らない変若水があるのだ。
 土方が怪我を負って指揮の全てを委任していた頃の戦地の分が。
 その行方は土方が全権を譲っていた人物にしかわからない。
 土方の腹心だった斎藤一。
 答えは彼の中にしかないのだ。
「千鶴と会わせてりゃすぐ思い出すと思ったんだがなぁ」
「千鶴ちゃんが可哀想になるばっかりだからね…。そうそう変若水を探してる輩のことだけど内部事情に詳しすぎる。覚悟が必要だよ」
「…幹部の、誰かってことか」
「僕らがよほどうまく騙されてるんでない限り、もう該当者は絞られてる。その線で捜査を継続するから」
「……わかった。まかせる」
 再び携帯電話の振動が着信を知らせる。
「今度は僕のだ」
 携帯に耳を当てる沖田の表情が強張った。
 大方のことに独特の反応をみせる沖田がこんなに真剣な態度を取るということは事態がよくない証拠だ。
 パタン、と端末を折りたたんだ沖田が土方を向く。
「千鶴ちゃんが家に着いてないって」
「どういうことだ、左之助はどうした」
 千鶴は原田と隣同士だから同じ車で帰ったはずだ。
「その左之からの電話だったんだよ。人数分の車が来て別々に乗ったらしい。渋滞で車が離れたんだろうと思っていたら、いつまでたっても帰宅の様子がない。携帯も通じない」
 土方が歯噛みする。
「俺の用意した以外の車が紛れてたのか」

ダンッ!

 マホガニーの机をこぶしが打って、顔を上げた土方は冷静そのものの顔に戻っていた。
「返したばっかりなのに悪いが全員集合だ。SPには千鶴の乗った車の情報を探らせるっ」
 集合をかける沖田と入ってくる情報を精査する土方。
 石田グループの力をフル回転させた捜索はかなりの短時間で千鶴を運んだ車の目処をつけ行方を特定した。
「西郷製薬の生産場…か、そこに千鶴が運ばれた可能性が高いんだな?」
「そう、その上層部にいる人間が変若水探しの犯人かもしれない…用意周到な相手だね。他はともかく一君にだけ連絡がつかないんだよ。おそらく…」
「敵の手の内か、完全に先手を打たれちまったな…。いいさ、宮川道場から人数分の木刀用意しとけ、討ち入りだ」
 眠れぬ夜が始まった。


逃げるようにして宮川道場を去って、斎藤は余った時間を講義で出た課題に費やした。
課題をこなす間も千鶴に取った態度や、永倉の変貌から考えを離せない。
『思い出せない組』として自分に共感を持っていた永倉が気を失ったのを境に取り付かれたようにその他の連中と親しくなった。
 彼は何を思い出したのか。思い出したら自分もあのように豹変するのか。それをとても不気味に感じた。
 このままこなしても課題の出来の質が落ちる。
 眠りについて忘れようと布団を敷き始めたところで着信があった。
 見覚えのある番号、千鶴の携帯のものだ。
 斎藤は千鶴には携帯の番号を教えていない。
 なのに何故。
 土方から聞いたのだろうか。
 電話に出て聞こえたのは千鶴の声ではなく、落ち着いた、しかし裏を感じさせる男の声だった。
「斎藤君…ですか」
「何者だ?何故雪村の携帯からかけている」
「…それは雪村君を私が預かっているからです」
「なんだと…っ」
「誰にも知らせず今から言う場所に来てくれませんか」
「……断る。といったら」
「…雪村君の身がどうなっても良いというのならそれでも構いませんが…そうではないでしょう?」
 まるで斎藤の心情を知っているかのような口ぶりが気分をささくれさせる。
「本当に、雪村がそこにいるのならだ」
「いいでしょう。さあ雪村君、斎藤君になにかいってやりなさい」
「…………」
 受話部分が沈黙する。
 冷やかしかと斎藤がその性質の悪さを指摘しようとすればようやく受話器が拾った音が聞こえてくる。
 だが、聞いてありがたいものではなかった。
「声を出しなさいといっているんです。……きいていただけないのなら私も紳士ではいられません」
 何かが倒れて打ち付けられるような音に一瞬だけ悲鳴が混じる。
「雪村っ!!」
「……」
 問いかけても返ってくるのは沈黙、電話主の男のため息が聞こえる。
 口を開かない千鶴の身に再び暴力が加えられると思うと胸が苦しくなる。
「……俺ならばすぐにでもそちらへ行こう、だから雪村には手を出すな」
「っ…だめです!私は平気ですから!!斎藤さんこの人の狙い通りにしては…」
 はっきりと、ようやく聞こえた千鶴の声に斎藤の決意は固まった。
 彼女を何をおいても取り戻す、と。
「…俺はどこに向かえばいい。早く言え」
 抜き身の刀を持っているようなギラギラとした殺意を向けられてなお、電話の主はひるまない。微笑んでいるような穏やかな声音だ。
「ええ、もちろんです。お招きする場所ですが……」
 場所を書きとめた斎藤は電話を切る前に一つ要求する。
「最後に、もう一度雪村に代わってもらえないか」
 電話の主は一つ返事で了承し、千鶴の息遣いが耳に届く。
「斎藤さん…来ては…」
「雪村、必ずそちらに行く。だからこれ以上、己の身を危険にさらすな」
「…………はい」
 返事を聞いた斎藤はすかさず目的地へと愛車を駆った。




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ご無沙汰しました。
停滞してた間も温かいお言葉をくれた方、ありがとうございます。
穏やかに風呂敷を畳むことが難航したので最後の一波乱です。
うちのサイトは常々、千鶴ちゃんがピンチになりすぎですね…。

なんとかエピローグまで書かけました。19がラストになります。
校正に時間かかる人なのでもうしばしお待ちください…。