降る雪に願えるなら 16
斎藤が去り、千鶴も出て行った道場で、近藤を除く一同は紅白戦の組み分けをくじで決めていた。
その場にいない斎藤の分は委任された永倉が引いて、各自が自分の引いた色を知らせる。
結果、白組に永倉、斎藤、土方。赤組に沖田、平助、原田。
決まった結果に異議はないものの、永倉はどこか残念そうな様子を見せた。
「原田と同じ組が良かった、そういう気がしてさ。もちろん他の奴でも背を任せるのに十分な腕だが…」
決まった結果を斎藤と千鶴に知らせてくる。言いつつ戸に手をかけた永倉が昏倒し、
そして、道場内がざわめく騒ぎになったのだ。
道場の広間の脇には急な怪我人に備えたベッドがある。医務室と呼ぶには粗末なそこに駆けつけた千鶴と斎藤を含め七人の人間が詰め、たった一つのベッドに横たわる 永倉を見つめていた。
永倉の顔色は、悪い。硬く閉じられた目は開かないまま、眉間に皴がよっている。
なにか悪い病気ではないかと不安そうに漂う千鶴の視線を平助が受け止めた。
「近藤さんと左之さんがここまで運び込んだんだ」
千鶴たち『思い出している組』は一目で近藤の生まれ変わりとわかる宮川道場の主を当人の前以外では以前の『近藤さん』で呼んでいた。
平助が声のトーンを下げて続ける。
「近藤さんは救急車だ!って慌てたけど、土方さんがメディカルスタッフを呼ぶから少し様子を見ようってことになって…きっと大丈夫。前もあったろ、思い出さない?」
平助が何のことを言っているか。千鶴はわからなかった。ただでさえ考え事に向いている状態ではなかった。
永倉が倒れたという報を受ける前、斎藤の抱擁を受けた。それきり動揺しっぱなしだ。いったん引いた血の気が思い出すとまた顔へ上がってきそうになる。
そんな場合じゃないと千鶴が首を振っていると、永倉が呻いて目を開けた。
その場にいる人間が口々に彼を呼んで体調を気遣う。
「ああ、大丈夫だ。救急車はいらねえよ」
言って頭が重いといった風に起き上がった永倉だが瞳に宿る光が違っていた。
狭い室内に立つ一人一人を見定めて、最後に原田を見て土方に向く。
「土方さん、紅白戦の組み分けをちいと融通してくれねえか。俺はまた左之と一緒に戦ってみたかったんだよ。ずっと…な」
ほう、と土方が頷く。
永倉は「左之」と呼んだ。これまで「原田」と呼んでいたその呼称が、戻ったと気がついて原田に満面の笑顔が浮かぶ。
「新八!!思い出したのか!!」
「世話かけたなあ、左之も、平助も、千鶴ちゃんも」
平助は予想がついていたらしく、驚くこともなく、ただ喜んだ。
沖田は興味深そうに永倉を見つめている。
その場で、斎藤と近藤だけが『これは一体何事なのか?』と首をかしげていた。
永倉の記憶が戻ったことを喜んで千鶴はふいに斎藤へ視線を移した。
なぜ皆がこんなに盛り上がっているのか理解に苦しむ、といった顔をしている。
それでも斎藤は皆に遅れて永倉に近づき、体調を案じている。
「心配性だな斎藤は!俺ならお前と試合できるくらい万全だって」
「……っ」
斎藤が身を固くしたことに千鶴と永倉だけが気がついた。
斎藤は永倉の変化に戸惑っている。
もう永倉は『思い出してない組』ではないのだ。
「おっと…すまねえな。他の連中のがうつった」
永倉は斎藤を一人、思い出してない組に残してしまったことに少しの罪悪感を感じたらしく、誤魔化した。
千鶴は様子を始終見ていたが気配に聡い人だけあって斎藤に気づかれた。反射的に向けられた視線をそらしてしまう。
先刻斎藤が千鶴を抱きしめた意図はわからないままで、気恥ずかしさが込み上げる。
避けていたのに、今度は急にどうして。
この新たな身で斎藤に抱きしめられるのは、初めてだった。
ずっと、千鶴は斎藤の全てを覚えていると思っていたがそれは違った。
年月と死を超えて知らず記憶は磨耗していた。
抱きしめられて斎藤の匂いや、腕にこめる力といった感触を「ああ、確かにこうだった」と再認識した。懐かしいのに、新鮮。
過去幾度となく知っていたはずなのに、千鶴は芯まで溶けたような気がして考えがまとまらなくなっていた。
永倉の様子にショックを受けたあたり、斎藤の記憶は依然戻っていないのだろう。
では、あの抱擁は何だったのか。
聞きたくても斎藤は再び千鶴と距離をとリ続けた。
そのままこの日予定されていた斎藤の宮川道場への協力時間が終わり、斎藤はすぐに帰宅すると伝えてきた。
「斎藤さん…さっきは」
「すまなかった。先程の事は、忘れろ」
「でもっ」
「では失礼する」
呼んでも彼を引き止めることはできなかった。近づいたと思ったのに、がっくりと落とした肩と顔が上げられたとき、斎藤は愛車とともに去っていた。
当初の解散時刻は過ぎたけれど、永倉が記憶を取り戻したなら、と喜んだ残りの記憶がある面々は夕食を一緒にとることにした。
永倉を交えた積もる話、と永倉の記憶復帰を足がかりに近藤と斎藤の記憶を戻す手立てを皆で考えよう、ということだ。
道場で近藤と別れてから千鶴、原田、平助、沖田、土方、永倉は石田グループの用意した大型乗用車に乗って個室を借りれる料亭へと向かった。
「切なかったんだぜ俺はさ」
料亭にて永倉は語りだす。彼の長い、『生涯』を。
「まず近藤さんが死んで、総司も駄目だったって聞いて、左之は一緒に戦えると思った矢先に江戸へ帰るっつってそのまま死んじまうし。斎藤は会津に殉じて、土方さんと平助は北海道で戦死と聞いて」
そう、彼だけが生き残って、生き抜いてきたのだ。
「俺もやばかったから色々落ち着いた頃に千鶴ちゃんを探したんだけど…」
永倉は千鶴に目を移す。
「見つけたときには千鶴ちゃんも亡くなってて斎藤と同じ土地に葬られてた」
自分が死んでからのことは千鶴も知らない。そうか会津の人はそこに千鶴の墓も立ててくれたのか、永倉は見つけてくれたのかと思うと胸がしんみりとした。
「再会を祝して」
誰ともなく杯を上げ酒を酌みかう光景を眺めていると、沖田が杯を断って永倉の横に座る。
「みんなが酔っちゃう前にちょっとはっきりさせたいんだよね」
記憶がなぜ戻るのかについてだ。
沖田はメモとボールペンを手に永倉に尋ねる。
「新八さん、いきなり不躾な質問だけど、『前』は満足して逝けたかい?」
虚を突かれたように口ごもった永倉だったがやがて「まあな」と答える。
「皆との別れもある、完璧といえる人生ではなかったが。死ぬときは結構悪くはねえと思ったんだ。俺は自分の人生を生ききって、孫の顔まで見れたわけだからな」
ふむと頷いた沖田は平助を向く。
「平助、君は?」
平助は杯を置く。
「オレは、満足だったんじゃねーの?羅刹になって命が無くなるか狂うのが見えてたし、その割には新選組と一緒に最後を迎えれたから」
土方が口を挟む。
「お前は、羅刹絡んでから普段が悲観的になり過ぎたんだよなあ、俺もほとんど同じ時期に死ぬつもりで突っ込んで死んだけどな、それでも…それでも終わってたまるかとは思ってたんだぜ?」
沖田が珍しく土方に同調する。
「そう…僕も病の床で終わってたまるかと思ってた。近藤さんの役にまだまだ立ちたかった。心残りでならなかったんだ」
魚に箸をつけながら原田が言う。
「お前らはつくづく近藤さんのこと一心なんだなー」
「左之さんはなかったの?そういう終わってたまるかって思い」
「俺は…俺もあれで死ぬのは残念だったなあ、まだまだ人生騒ぎ足りねえと考えて、死んだ」
言われなくても千鶴が聞かれる番だった。
沖田が視線を寄越す。
千鶴は精一杯過去の自分の最後を詳しく思い出す。
胸が苦しかった。
熱で頭が痛く、朦朧とする。
何度も斎藤の幻覚を見て、幻だと気づいては落胆した。
寒い夜だった。
冷たい風は労咳の体に障るというのに世話してくれた者に頼んで外が見えるよう戸を開かせていた。
千鶴は感覚的に自分の死期を悟ったのだ。これ以上体に障ったところでどうだというのだろう。
今夜この命は失われる。
月はうす雲に覆われて輪郭がぼけ、その雲が運んだ雪片が天から降ってきていた。
涙を流しても拭き取る力さえない。
この後は斎藤や、親しんだ者たちのところに行けるのか?
浄土や死後の世界を信じきることはできなかった。
浄土や天があって神がいるのなら、今千鶴がこんなに悲しいわけがない。
信じられない。
だって今ここに一さんはいない。
死の間際に、彼岸の向こうの愛しい人が迎えに来るというのは嘘だった。
見送るのは月と雪だけ、千鶴の死はこんなにも寂しい。
落ちていく雪を瞳に写して千鶴は泣きじゃくった。
このまま会えないなんて、嫌。
嫌なんです。
どうしても会いたいんです。
どうか、どうか―
白い光景を瞼のうちに収めながら、千鶴は何ともつかないものに願いをかけ続け、事切れた。
「私も、死ぬ前はこのままは嫌だと思っていました。満足な別れもできないまま一さんを喪って終わるのは…とても辛かったんです」
沖田がぐるりと室内にいる者を見回す。
「みんなが本当のことを言ってるなら…線が見えた。ホラ」
沖田がメモ帳をテーブルに置く。そこにはそれぞれの名前と生まれつきの記憶の有無、あと死に際してという項目で未練、満足と書き加えられている。
こうして表になると生来記憶を持っている者とそうでない者をわかりやすく見ることができる。
千鶴、土方、沖田、原田は幼少から記憶があった。死に際して四人とも未練とある。
平助と永倉は後で取り戻したが元は記憶がなかった。死に際しては二人とも満足。
「ね?僕らが初めから記憶を持っていたのは、強烈な未練の賜物だったってわけさ」
ボールペンを回しながら沖田が千鶴へ皮肉めいた笑顔を見せた。
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拍手御礼代えたらビックリするぐらい拍手を
頂いたんでこの場を借りて感謝を。
推理小説で言うなら推理披露に入ったところ、です。
長くなったなあこの話も。
ちなみに、斎藤さんに関しては史実まげてノーマル&土方ルート説採用、の予定。
史実に従わせたら時尾さんが出てきてしまうからなあ…。
(やっぱり薄桜鬼斎藤さんには千鶴とだけラブってほしいんです)