降る雪に願えるなら 13




 深夜、千鶴は廊下に設けられた休息所で夜景を眺めていた。
 貸しきられたフロアの廊下には他に人影がなく、間隔を空けて灯る淡い照明と窓越しの景観の一部である光だけが千鶴を照らし、蒼いライトに浮かび上がるドレス姿は海の中の回遊魚を思わせる。
 今日の用は済んだと告げた土方は宿泊も帰宅も構わない、最大限のフォローをすると言って以降の行動を各個の自由意志に任せてくれた。
 原田や平助は千鶴がSPの送迎つきで帰宅するものと思っていたようだが千鶴は綱道のいない家に帰ることよりも宿泊を選んだ。斎藤も宿泊を選ぶことを期待して。
 願望どおり、全員が宿泊を選んだ。夜が更けたことと、明日が休日だということや監禁時に使ったスイートルームに泊まって良いということが皆の心を引いたのだろう。談話室に使われることになった食堂ではボトルとグラス、つまみの料理が積まれ、千鶴以外の面子はまだ飲み食いを繰り返している。
 そのはずだったのだが廊下の奥から歩んでくるものがいた。
 フロックコート姿の斎藤だ。
 皆と同じく酒を飲んでいるはずなのだが澄んだ表情と首もとのタイまで一糸乱れぬ様子は酔いの気配を微塵も感じさせない。
 通り過ぎて談話室に戻ると思われた斎藤だが、千鶴のいる地点で止まり、その傍らへと身を寄せた。
「……あの、斎藤……さん?」
 山口という名前が馴染まない千鶴は昔に出会った時の呼び名で彼を呼んだ。
 土方が『斎藤』を渾名と思って使わせろと言って通るようになったのだから、これぐらいなら許されるだろうと、不安を抱きながらの呼びかけは途切れがちなものになった。
 『斎藤』と呼んだそこで斎藤の目が細められたが、すぐに元に戻された。『斎藤さん』の呼称で許すということらしく斎藤はそのことを咎めることなく別の話を振ってきた。
「お前は、もう皆と話さなくていいのか?」
「はい、思ってもみなかった人たちが次々出てきたんで驚いて、少し一人で考えてみたくなったんです」
 記憶を持っている土方と沖田、記憶のない斎藤と永倉。自分と前世、それを繋いだのは何なんだろう?斎藤への愛情?若くして死した未練?
 土方と沖田が突き止めようとしているものは何なのか、自分は答えを手に入れているからここに前の記憶を持って在るのだ。ならば手の届かないものではないはず。夜景を見つめたところで答えは得られなかったが。
「斎藤さんは皆さんとはいいんですか?」
「ああ、俺はお前と話をしに来た」
 千鶴が夜景から隣の斎藤を向くと、斎藤はすでに千鶴の方を向いていて、ただ千鶴だけを見つめていた。
「元々はその予定だっただろう。大幅に変更が入ったが」
「はい、でも原田さんと平助君は…」
「いいんだ。お前に…お前だけに聞いて欲しい」
「………はい」
 大切なことを告げるとき、この人は初めにまっすぐ瞳を見てそれから思いを語りだす。
 今もそうだった。
 だから千鶴は受け止める。まっすぐなその視線を。
「いつからか、よく刀の夢を見る。すらりと伸びた白銀の、触れたことがあるような現実感のある夢だ。時にはそれで人を斬っている、そんな夢を見て起きて現実に戻るたび思う、足りない、と」
 どくん、どくん。
 千鶴の胸が早鐘を打つ。
 それは斎藤の片鱗だ。
 千鶴が愛し、千鶴を愛してくれたであろう斎藤の。
 引き出すことは、できるのだろうか。
「そして足りないと思う自分は人を斬りたがっているのではないかと疑いたくなる。お前にはどう見える?俺は…人を斬りたがっているんだろうか」
 不安。
 斎藤の抱いている思いを感じ取って、千鶴は自分の思いと期待を浅ましかったと反省した。
 志あってこそ人を斬っていた斎藤が、志あった事を思い出さずに人を斬ったことを覚えていて苦しんでいる。なのに、ほんのわずかな、修羅の記憶だけでも残っていることを喜ぶなんて。
 千鶴はかぶりを振って斎藤を見る。
「斎藤さんは進んで人の命を奪いたがるような人じゃありません」
「なら、何故こうも刀のことが気にかかるんだ?利き腕が、右側が、心もとないように感じる…」
 斎藤が目の前に持ってきた左手へやわらかく、白く細い指が触れた。
 右に立つ少女が刀を求める左手を優しく包み込んでいる。
「斎藤さんは、武士だから。武士と刀は対ですから、刀がなくて足りないと感じるのはおかしくないですよ。それは人を斬りたいといった思いとは別なもので…」
「雪…村…」
 呆然と発せられた斎藤の声で千鶴は斎藤の左手から手を離そうとした、ところが斎藤の右手が千鶴の手を留める。
 手を取り合ったような格好になった千鶴は頬に集まる熱に耐えながら、斎藤を見た。
 一瞬目があった後に斎藤は目を伏せる。
「……すまない。…あと少しだけ……」
「………はい」
 斎藤が手を離し踵を返すまでの間短い時間、穏やかな夜の光の中千鶴は斉藤と互いに包みあった手の暖かさへ意識を研ぎ澄ませた。
 
 一晩の自室となったスイートルームで千鶴は悶々と想いをめぐらせていた。
 誘拐され、土方と沖田との再会を果たし、斎藤と語らいだその全てが詰まった日は怒涛の一日と言っていいだろう。
落ち着かなくて眠れないのはシルクのネグリジェに袖を通しているからとか、キングサイズのベッドを独り占めしているからだけが理由ではない。
 もう今日になった明日も長い日になると予想できた。
 早速、近藤の生まれ変わりが運営しているという宮川道場を訪ねることとなったのだ。
 頑なな斎藤や永倉も土方曰く「いかにも尤もそうな筋書きの話をして雇った」そうなので宮川道場に来ることになる。
 嬉しさと恥ずかしさが入り混じった感情が駆け巡る。
 斎藤から密かに告白された刀への郷愁、触れた手のひらの感触は眠りに落ちるその瞬間まで千鶴の頭から離れなかった。



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連載応援してくれている方々にありがとう、を。
詰まったときとかもおかげで頑張れてます。
たまたま重なっただけなんですけれど。
もう一つの連載といい、手つなぎ前線到来って感じですかね。