狼達の矜持 8
斎藤が千鶴に向けた眼差しは、久しぶりに見る無感情に徹されたものだった。
「お前を…斬れと命が出た」
声が、出ない。
体がすうっと冷たくなって、感覚がない。
かさり、音を立てて床に落ちた書面に目を留め、千鶴はそれが現実だと知った。
新選組と関って、何度か斬られる危機に陥った。けれど今回はもう『斬られるかもしれない』状態ではなかった。千鶴の知らないところですでに事態は決していて。あとはなされるのを待つ状態になったのだ。
「あ……」
口を動かしても掠れた息しか漏れない。
斎藤は千鶴から山崎の方へ視線を移す。
「まずは上がれ、もう…雪村に事情を話してもいいだろう。…それくらいは聞かせるべきだ」
永遠に閉じられるとわかっている口になら何を聞かせてもいい。そういうことだ。
隊に関して、千鶴に触れられない情報は多かった。全部、千鶴の命を散らせないためだったのだが。その配慮が必要なくなったということが、とても悲しい。
斎藤と山崎に挟まれるかたちで奥の間まで進み、三人で書面を囲んで座った。
沈痛な表情の山崎は千鶴が屯所を離れてから起こったことを話し始める。
「雪村君を処分した旨を発表してから、送り主の捜索は行っていたのですが成果は上がらず…。手がかりがなくとも公表に動く様子もなかったので、これで今回のことは切り抜けられただろう、ほとぼりが冷めたら雪村君を戻そうという話が固まっていたんです。ところが、屯所に『隠さず雪村千鶴を始末しろ、さもなくばこれを世間にしらしめる』という文と、変若水が届けられました」
「っ!」
「…!?」
変若水にかかわる事柄は外に漏れることを許さない、隊での絶対の禁忌だ。相手が変若水を握っているなら知らぬぞんざぬは通じない。変若水の効果を実演でもされたら、秘密にしてきた全てが明るみに出る。
千鶴の命くらい、差し出すべきと判断されて仕方ないことだった。
でも、手が震えた。寒いわけでもないのに歯も鳴っている。
死ぬの?
千鶴は隣に正座する黒衣の人物に目をやった。
彼は静かに、山崎の報告を受け入れていた。
私の命を断つ人。
恋心を、抱いてしまった人。
土方自ら斎藤を実行者に名指ししたのは、千鶴へのせめてもの気遣いか。
散らさねばならないのなら、せめて想いを寄せている相手の手で逝けと。
斎藤さんなら、苦しまずに送ってくれる。
でも、自覚すると怖かった。父にも会えずじまいで、倒れることが寂しかった。
事情の説明が終わっても、射しこむ夕陽の中で動かず沈黙している三人、とそこへ――
「そんな事情があったのか、残念だったね千鶴ちゃん」
障子を開けて入ってきたのは沖田だった。
「沖田さん……」
「総司、いつから居た?」
袖を振りながら、いつもどおりの飄々とした態度で沖田が答える。
「土方さんの様子が妙だったから、山崎君をつけてみたんだ。聞こえたのは玄関先で斬るって言ってたあたりかな。ああ、お邪魔させてもらってるよ一君」
山崎が立ち上がって沖田に寄る。
「これは貴方が知るべきことじゃないはずだ。帰って下さい」
「いやだ。僕ら幹部にも内緒で千鶴ちゃんを片付けようとするなんて、土方さんも勝手なことをしたんだ。僕だって好きにさせてもらう。そう……千鶴ちゃんにお別れを言って、……最後を見物するよ」
沖田に千鶴を救う気がないことがわかった。元々、斬った方がいいと言ってきた沖田だ。ちゃんと別れを言って、黄泉路へ送れるなら良いと彼はすでに心の区切りをつけている。
「女の子に切腹もないから一君に斬ってもらえるんでしょ、僕が助介錯を勤めてあげる。だから、大船に乗った気でいいよ。君の苦しみはすぐに消してあげる」
そう千鶴に優しく言って、沖田はいつ斬っても大丈夫だと斎藤を見た。
しかし斎藤には立ち上がる気配すらない。
「一君? いつまでぼさっとしてるの? 何事にも立ち回りの早い君らしくないね」
沖田のほうでも、千鶴のほうでもなく、ただ前を見据えたまま、斎藤が言う。
「切腹の作法とはいかないが、身支度くらいさせてやってもいいだろう。そのくらいの猶予はあって良い筈だ」
ちらりと千鶴を見た沖田が息をつく。
「一君らしい気遣いだね。では決行は日が落ちてから……夜五つにしようか。千鶴ちゃん、それまでに心のけじめをつけて置くんだよ」
それまで沖田も滞在することにしたらしい。するりと猫のように襖の間をぬけて、奥に行ってしまう。
一方山崎は、沖田の訪れを土方に報告するため、さらに屯所を往復してくることとなった。
傾いた日の光を浴びて、千鶴と斎藤だけが部屋に残された。
「……すまない。お前の身を、新選組は救ってやることができなかった……恨むなとは言えないが、わかってほしい…」
思いつめたような声に、千鶴は表情を一切変えない斎藤の苦悩の一端をかいま見たような気がした。
「いいえ…。本当なら初めて京に来たあの夜、斎藤さんが間に合わなければ死んでいたかも知れない身でした。それからも、居候させてもらってご飯も食べさせてもらって、本当に良くしてもらったから……だから…」
いいんです。と言おうとしたのに嗚咽に飲まれて言葉にならなかった。
そっと、頭の上に何かが乗った。見上げれば立ち上がった斎藤が居て、乗っているのは斎藤の手だった。
「風呂の湯を沸かしてくる。入りたくなったら来い」
すたすたと、去っていってしまった。
頭に残る、ぽんぽんと軽く叩かれた手の余韻。時期に千鶴の命を奪う手なのに、暖かいと感じたのだった。
風呂を沸かしてくれたのは、千鶴がせめて身を清めたいと願うだろうという斎藤なりの心使いで。
もう会えない人へ文をしたため、細々した品を片付けて千鶴は風呂へ向かった。
斎藤が用意してくれていて桶には熱い湯が張っていた。
髪をとかして湯に身をゆだねる。
気が抜けるとますます涙が溢れ、湯の中へと消えていった。
好きだと、斎藤に伝えたかった。
いつかは伝えられると思って傍に居るとき先回しにした。
斎藤が衛士になってしまって会えなくなった時にそれを悔やんだのに、また会えて傍に居られるようになっても黙っていた。
斎藤がとても自分の恋心を受け入れてくれるとは思えなくて、それでも好意に甘えたくて。なんて愚かだったんだろう。
もう言えない。死んでしまう、斎藤の手にかかる千鶴が好きだと告げても、それは斎藤の重荷にしかならない。
風呂を上がって浴衣をまとっても、自分の命も恋心も散らせねばならないことが悲しくて、涙が止まらなかった。
目の痛みを感じながら戸を開けると、千鶴の脱走に警戒しないとならなかったのだろう、斎藤が外で張っていた。
千鶴と目を合わせて、斎藤が辛そうに目を細める。失敗したと思った。
せめて、目の赤みが取れてから出ればよかったのに、こんな顔を見せたら斎藤のためにならない。
「あの、これはっ…」
さらに溜まりはじめた涙を拭こうと袖を顔に近づければ、その手が強く掴まれた。
刀を扱う斎藤の骨ばった左手。
「時間を与えてかえって怯えさせてしまったか」
「大丈夫です。なんでもないですから」
ふいに、震えていた足がもつれて言う事をきかなくなった。床に叩きつけられると思った上半身は、斎藤の手で支えられていた。
「つかまれ」
「はい…」
千鶴は墨染めの布地をしっかりとつかんで足に力を入れる。
斎藤の腕を軸に体を支えようと思っただけなのに、千鶴の体は斎藤へ引き寄せられて、抱きしめられた。薄い浴衣を通して、斎藤の腕の力強さが伝わってくる。
「斎藤さん…」
吐息すら奪われそうな甘美な一時、斎藤はもうすぐ散らすその命を、彼なりに惜しんでいる。包み込むように支えるその体に震えは解け、弛緩した腕が下がったとき、腕に硬いものが当たった。
斎藤の右腰に挿されている刀、千鶴の命を奪う刃だ。
千鶴は思わす斎藤から身を離す。一気に現実に引き戻されて、斎藤は千鶴の先導役へと戻る。「行くぞ」と促すその人は、千鶴ではなく部屋の連なっている方へ目を向けていた。
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続き>
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おまたせしました。
ずいぶん間があいた上に、まだ書きたかった場面にたどり着いてないと言う体たらく。
転パロ連載時をおもいだすほど。
そもそも、頂いてるリク書けよってはなしです。
ここまで引っ張ったんだから・・・と思うとますます書けなかったり。
いや、なんとかする努力はします。・・・たぶん(確証がもてないってのがなあ