狼達の矜持 9




みそぎの時が終わって、千鶴が導かれた奥の間はすっかり整えられていた。
 散らばっていた書類は片され、窓も戸もぴっちり閉ざされている。
 月明かりすら入れさせないその部屋の唯一の光源が、隅に置かれた行灯だ。
 光が届くか届かないか、ぎりぎりのところで沖田が鎮座していた。
「遅いじゃないか、逃げちゃったのかと思ったよ」
「総司」
「あはは、冗談だよ」
 からからと、この場にそぐわない笑い声を響かせた沖田だったが、間もおかず猫の目のように雰囲気を一転させて千鶴を見る。
 そして刃のような鋭さで、一言。
「じゃあ、始めようか。いや、終わらせようかと言うべきかな」
 やることは一緒なんだから、どっちでも、いいんだけどね。
 つぶやいて立ち上がる。
 不安で不安で、影が動いただけでも千鶴は肩を跳ね上げた。
「僕のことは気にしないでいいんだよ。助介錯なんて、介錯がよっぽど下手じゃなきゃすること無いんだから」
 返す言葉も浮かばない、千鶴は黙ってうつむいて、裾を掴む。
 斎藤さんが。
 斎藤さんがわたしを殺す。
 ふっと、影が射した。斎藤の影が千鶴にかぶさっているのだ。 
 顔を上げれば斎藤がいた。あとは刀さえ抜けば千鶴の首を飛ばせる位置にきたのだ。
「なにか、言い残しておきたいことはあるか」
 これ以上大きく打つことはないと思っていた心臓なのに、斎藤に面と向かって聞かれたこの言葉が千鶴の胸を痛いくらいに強く打つ。
 斎藤さん、貴方のことが……
 でかかった言葉を千鶴は喉の奥に押し込んで、首を振った。
 この姿を目に焼き付けて死ねるなら、それだけでいい。
 まっすぐに、斎藤だけを見詰めて、千鶴は淡く微笑んだ。
 虚勢だった、想いを寄せている人に、少しでも潔い逝き様を見せたいという。
 不思議なことに斎藤の姿を一心に見つめて、それで心を満たしていれば死の恐怖が薄らいだ。
 相変わらず、感情を交えない表情で千鶴と向き合う斎藤。
 その唇が微かに震える。
 
 ちづる。
 
 何も聞こえなかったのに、名で呼ばれたかと思う一瞬。
 キンッ。
 鯉口が鳴る。
 そこから刀が振られるまでの間はほんのわずかであったはずだが、千鶴は歴戦の達人のように、そのとき起こった様々なことを把握することができた。
 逞しい左腕が振りかぶられたこと、白い襟巻きが風にまかれたようになびいたこと。
 白刃が行灯の光を反射したこと。
 
 それらが過ぎ去って、千鶴は。

 千鶴はまだ自分で自分という存在を知覚していた。
 体も、どこも痛くもなんともない。
 生きている。
 
 なぜ?では斎藤さんは?沖田さんは?この二人が自分の生存を認めるはずなどないのに。
 どっ、と膝を付く音が聞こえた。
 千鶴の前では、膝を折った斎藤が畳に刺さった刀に寄りかかっていて、沖田は冷めた目でそれを見下ろしていた。
「何やってるの一君、刀も持っていない女の子一人に」
 斎藤は答えない。ただ研ぎ澄まされた愛刀の刃を見つめている。
 もはや一刻も待てない。急いた沖田は斎藤の横を通り過ぎて千鶴に近づいた。
「何度も覚悟を決めさせるのは可哀想だ。もう僕が、斬るよ」
「……ああ」
 最後に千鶴の命に接する、その権限を斎藤はどこか呆けたように手放した。
 自分の最後のことながら、千鶴に口を挟む余地はなく。
「そういうわけだから、ごめん」
「はい……」
 どうせ死ぬのだ。
 命を散らすのが斎藤でないのは残念だが、どうせ散るもの。
 たいした違いではない。 
 言い聞かせて千鶴は黙って頭を垂らす。
 シュッと足を踏み出す音がして……
 過敏になっていた千鶴の耳に激しい金属音が響く。
 聞き覚えのある音だ。
 乱闘などの最中に聞こえる剣と剣がぶつかる音。
 目を見開いた千鶴の瞳に映るのは、刀を振り下ろそうとする沖田と、受け止める斎藤。
「斎藤さん……」
 刀が持つ力を綺麗に受け流し斎藤は沖田の一太刀をそらした。
「一君、何のつもりだい? やっぱり自分でやるってこと? それとも……命令に背くとか」
「いや、どちらでもない」
 臨戦態勢の沖田の前で斎藤は刀を鞘へ戻した。
「なら、なんで」
「……」
 いらだたしげな沖田にそっぽをむいて、斎藤はそのまま、千鶴より一尺も離れて横に鎮座した。
 そして清水のように落ち着いた声音で一言―― 「総司、お前に介錯を頼みたい」
「だから、その役目を果たそうとしたんじゃないか」
 君が邪魔したんだよと沖田が言外になじる。
「違う、頼みたいのは……俺の介錯だ」
 千鶴は耳を疑った。言葉の意味がわからなくなったかと思った。
 自分が死ぬと決まったとき以上に胸が痛い。
 驚く様子もなく沖田は斎藤に先を促した。
「つまり?」
「つまりも何もない、腹を切ると言っている」
 切腹する気であるとの斎藤の発言に、千鶴は奈落に放り出されたような絶望を感じた。



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すっかり久々です。
期間サイトと言いつつまだやってるあたり自分も結構根気あったんだな…とか。
続きを待ってくれてた方々、ありがとうございます。
10話のアップがいつになるかテンションと気の向き次第で申し訳ないのですが
気を長めに持ってもらえるようお願いします…。