狼達の矜持 7




 鶏のつくる刻の声を耳にして斎藤が起きる。
 ずっと覚醒はしていたので単に目を開いただけだが。
 まだ太陽は地平から出ていない。
 夜と変わらない闇だ。だがあと幾ばくかすれば明け六つ、斎藤は固く握られている右手を少しだけ持ち上げてみた。
 傍らに眠る少女の寝息に変化はない。
 もう片手でそっと彼女の指を開いていく。
 温もりから離れた左手に冷えた空気を感じながら斎藤は静かに布団から出ようとした。
 しかし千鶴を起こさず済んだことで気を抜いていた。
 床から離れようとする首元に引っかかりが生じる。
 いやな予感に振り向くと、首巻にしている白い布のあまりが先ほどまで斎藤の右手があった場所に収まっている。
「…………」
 いかがしたものか。
 嘆息して斎藤は衣擦れの音を立てながら首巻を解き、千鶴の横に置いて外の水場へと向かった。
 夏とはいえ早朝の空気は冷えている。なのに斎藤はためらうことなく着物を脱いで井戸の縁にかけ、桶に並々とはった水を頭から被った。
 こうして水を己にぶつけるのは何度目になるか、数えようとしてやめた。片手ではきかない。
 原因は全て千鶴の嫁入り前の娘からぬ行動だ。
 山崎にもあのような行動を許しているのか、気にかかってそれとなく探りを入れたがそんなことはないらしい。
 自分と居ると気が抜けてあのような行動に出るのだろうか?
 屯所では緊張を解けない日々を過ごさせてきた。隊の人間で自分が一番その緊張をほぐせるならば、と黙認してきたが昨夜の千鶴の申し出はやはり断るべきだった。
 男だらけの新選組でかなりの年月を過ごしてきた、とはいえ皆気を使って千鶴の嫁入りの支障にならないよう一人部屋を与えてきたのに、昨夜、斎藤は千鶴に布団を並べることを許した。これまでの隊の方針と配慮に逆らって…。
「早いですね」
 低い声に話しかけられて斎藤は脇においていた着物を取る。
 山崎だ。千鶴でないことをありがたく思いながら、意味なく他人に肌を晒すことを良しとしない斎藤は素早く衣服を纏う。
「お前こそ、この時間から交代とはご苦労なことだ」
「今日は夕にまた土方さんの所に行くので、それまでに衛士の動向も得ておきたいんです。それにはあなたに月真院へ行って貰わねばなりませんから」
「了解した」
 山崎は斎藤に隊の動きを伝え、斎藤からは留守中の千鶴の身に起こったことを聞きだした。
 あらかたの情報交換が終わったのに何故か違和感を覚え、それを追求する。 「それで終わりか、お前のほうにはまだ何かあるのではないか?」
 さすがは山崎というべきか、瞳がわずかにそらされただけであとの反応は平然としている。しかし斎藤にはそれで十分だった。
「今、俺には言えない。というわけか、……衛士にかかわることか?それとも…雪村のほうか」
 逡巡した後山崎は重い口を開く。
「状況が変わったんです。悪いほうに、土方さんが手を尽くしている最中です」
 どの件に関することか明言されなかったがわかりきったことだった。
 斎藤は千鶴のあどけない寝顔を思い出し、すぐに打ち消す。
 表向き衛士の立場に居て、千鶴の件が悪化していることを知らされていないはずの斎藤に現在打てる手はないのだ。
「では、俺は月真院へ行こう。後を頼む」
 素早く身を翻したのは苛立ちで心が曇ったことを山崎に看破されないためだった。

 月真院の門扉をくぐって数歩、斎藤は伊東と出くわした。
 この男はいつも癖のある微笑を浮かべているのだが今日はいつになく口角が上がっている。
「あら。斎藤君、久しぶりのような気がするわねぇ」
「ここ二日、休みを頂いていました故」
「ふふ。お役目に熱心な貴方がここのところ浮き足立っているのは知っていてよ。そう、石塀小路がお気に入りのようね」
「……」
「あら、なぜ黙っているの?通り道にしてはあそこはぱっとしないのによく利用しているそうじゃない」
「あそこに別邸を置いていますから」
「…それでも、ここのところ使っていなかった休みを一気に取ってまで足しげくしているそうじゃない?」
「はい、女を囲い始めましたから」
 以前から、別邸に通う理由を聞かれればこう答えるつもりでいた。
 本当に千鶴が手配されてきたのだから、内実はどうでも傍目はそれで通すことができる。
 むしろ、いざというときに土方のつてで知りもしない女を手配してもらうよりずっとましだった。
 伊東は斎藤の別邸に関して、簡単な調べをつけた上で聞いているにちがいないが、この場では目を丸めて驚いて見せた。
「貴方が女に入れ込むなんてねえ。それほどの子なのかしら?」
「伊東さんの眼鏡にかなうかわからないが、俺は彼女の楚々としたところが気に入りまして。今しばらく暇をそちらにつぎ込むことになりそうです」
 実際に千鶴の顔を思い浮かべた斎藤の顔がほんのり赤らむ。
 そのため伊東への説得力は抜群で、今度こそ裏もなく目を見張った伊東は斎藤の肩を扇子で軽くはたいた。
「まあまあ、斎藤君のそんな顔が見れるとは。衛士の役の糧になるなら引き裂く気はないわ。仕事の支障にならない範囲で大切になさい」
 去った伊東の後姿を見て斎藤は別邸通いへの疑念がすっかり晴れ上がった手ごたえを得ていた。

「なあなあ、一君。…女を囲ったって…本当?」
「ああ、事実だ」
 食事時に隣へ座った平助に問われて斎藤は即答した。
 平助はそれに妙にうろたえた。
「その人のこと本気…なのか?」
「遊びならば島原で間に合う」
 斎藤は平助たちと違って、隊務でもなければ島原に行くことはほとんどありはしなかったが。
 黙々と膳を片付けていく斎藤の横で平助が聞き取りにくいほど小さな声でぼやいている。
「そんな…千鶴はどうなるんだよぅ。会ったときこの事どう言えばいいか…」
「千鶴がどうかしたのか?」
 と聞けば平助は飛びのいて手を振る。
「えっ!いや、どうというわけじゃないんだけどっ。あ〜その女って千鶴に似てる?」  似ているかと問われてそうか否か答えるならばそうだといえるだろう。本人なのだから千鶴そのままだ。
「似ている」
「えええ!!!そりゃますます…」
 またもごにょごにょと口ごもった平助だったが急に斎藤に覆いかぶさりそうなほど詰め寄ってきた。
「まさか、それって南雲薫って子?」
「違う。何故そうなる?」
「ああ、前に巡察に行ったとき総司の奴が千鶴と瓜二つだっていってたしさー」
 なぜか気にかかり聞き流せない話だった。
 斎藤は平助に事の仔細を聞きだすと、午後から用事で街に出るついでに調べる手はずを整えることにした。

 夕刻、斎藤は月真院ではなく石塀小路の家へ帰宅して山崎との交代を行った。
 しかし、大した時間も経っていないのに山崎が再び戻ってきた。
 その顔色は蒼白で手には一通の文を持っている。
 呼びかけるよりも先に山崎はその文を斎藤に向かって差し出した。
 隣から顔を覗かせる千鶴は山崎の心配をしたが山崎は返事もせず、千鶴から顔を背けている。
 尋常ではないことが起きたのか、斎藤は折りたたまれた文を広げた。
 見まがいようがない、土方の筆跡で書かれた文書だ。
 そこに書かれた内容に斎藤は愕然とする。
 副長命令として書かれた最後の一行、それは。

 千鶴を斬れ。

 実行者として、斎藤が名指しにされていた。



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ハイ、これです。
ちんたらしている間にまだ見ぬどこかで同じネタ出てるかも知れませんが。
任務大事の斎藤さんが千鶴を斬れって命令受けたらどう出るか。ってのが書きたかったんです。
なぜかここにたどりつくまでほのぼの(当社比)してたんで雰囲気変わりますが
次あたりが私的に一番書きたかったんで楽しんできます。