狼達の矜持 6
千鶴は屯所にいた。黒い衣に伏していた身を起こし、あたりを見回す。
周囲は暗くおぼろげで、建物の姿すらないのに、そこは屯所だと確信していた。
夜になって眠ったのではなかったか、夕にあったおぞましい出来事で不安になったけれどそれでも布団に入って…。
思考は下に広がった血の海を目にしたことで切り替わった。
浅葱の羽織を羽織った隊士たちの死体がいくつも転がっている。
抱き起こそうとしたが触ってもいないのに千鶴の手は血まみれで。
どういうことかと見回せば脇の姿見に千鶴が映っていた。
夕に見たのと同じ白髪赤眼の千鶴、違うのは口元についた血と、千鶴の前に倒れた人物が映りこんでいることだ。
血の気が失せて真っ白な肌をして、永遠に双眸を閉じた、斎藤だった。
姿見に映りこんだその光景は千鶴が斎藤を殺してその血をすすった後のよう。
「い…いやああ!!!」
握ったのは黒色の着物か、布団の縁か。
声とともに息を吐き終えて千鶴は、目を開けた。
「雪村っ!!」
勢いよく開かれた襖の向こうには刀を抜いた斎藤がいて。
千鶴がきつく握ったそれは布団で、自分が石塀小路にいること、斎藤が無事でいることをどこか呆然と認識した。
刀が鞘に納まる音が聞こえて、斎藤が千鶴の傍らに座す。
肩で息をして言葉も出ない千鶴の背を斎藤はそっとさすってきた。
刀を握る骨ばった手の感触に千鶴は先刻のものは夢で、こちらが現実だとやっと腑に落ちた気がした。
「斎藤さん…。すみませんでした。お騒がせして」
「只事ではない様子だ。俺でよければ話を聞くが」
夢にうなされて斎藤に刀まで抜かせたという事実は語るに情けない思いがした。しかし夕のこともある以上斎藤はただでは下がらないだろう。千鶴はぽつりぽつりと夢の内容を語った。
「私、隊士の皆さんを殺して…」
「所詮、夢だ。気に病むことはない」
「それどころか…斎藤さんまで…」
一番恐ろしかったのはそれだった。
自分が斎藤を殺してしまう。
それが何より見たくない光景だったのだ。
溢れてきそうな涙を見られまいと顔を両手で覆えば、強い力で手首を掴まれて引かれた。
「あっ」
斎藤と視線がぶつかり、潤んだ瞳に気づかれる。
しかし斎藤は珍しく微笑を見せた。
「この程度の力では羅刹となったところで隊士はおろか俺は倒せないな」
だから心配には及ばないと、捕らえた手首を離した手の平が再び千鶴の背を撫でる。
「…はい」
そのまま、時が過ぎて。
千鶴が落ち着いてきたと判断したのか斎藤が立ち上がる。隣に戻って眠りに戻るのだろう。
だが、千鶴は一人で暗い部屋に取り残されるのはまだ心もとなかった。
悪夢の続きを見ることだけは避けたい。
立ち上がったその影に勇気を振り絞って声をかける。
「あの、斎藤さん。そちらで…眠らせてもらってはいけませんか」
歩みだそうとした斎藤の足がぴたっと止まった。
「部屋を換えたいのか」
「いいえ、そうではなく…斎藤さんと同じ部屋にいてはだめでしょうか…」
沈黙が長かった。
「何故…」
千鶴は彼に迷惑をかけて謝ってばかりだということをわかってはいたが。すみません、とさらに付け加えて自分の心が真剣にそれを必要としていることを訴えた。
「…あんな夢を見てしまうと心細くて。それにまた、同じ夢を見てお世話をかけたくないんです」
さらに長い間。
「…好きにしろ」
「ありがとうございます」
千鶴は布団を斎藤の使っている間に移し斎藤の布団の左に敷く。だが部屋は布団二枚を敷くのがやっとの広さで、二人の布団は重なりそうなほど密着することになった。
「………」
「………」
斎藤の眉間が険しくなっていくのを見て千鶴はなるべく、斎藤の布団から離れて横たわる。
斎藤も同じように布団の反対の端に身を下ろす。
抱かれた刀に目がいって思わず問うた。
「寝るときも、刀を離さないんですか?」
「新選組を裏切った衛士の身だ。買う恨みも闇討ちの危険もいくらでもある」
道理で千鶴の悲鳴から刀を抜いて戸を開けるまでが早かったはずだ。
「……あの…」
斎藤は千鶴に背を向けて眠るものだと思ったがなぜかその様子が一向にない。
仰向けになるわけでもなく、刀を抱いて左の千鶴の方を向いたままだ。
そのまま眠りに就くのかと怪しめば斎藤の口からため息が漏れた。
「利き腕は下にして眠るようにしている。目を閉じればお前の姿は見えない、眠れ」
抱いた刀と同じく利き腕を守るという突然襲われたときのための用心らしい。
千鶴の気に障らないよう。寝ても居ないのに斎藤の瞼は閉じられ、やがて油の切れた行灯の火が落ちた。
本来なら胸が張り裂けんばかりに高鳴っていただろう状況だが暗くなった室内で、千鶴は背筋の凍るような思いをしていた。
こちらを向いて目を閉じる斎藤が悪夢に重なる。夢とは違ってその顔は血が通っているのだが。
握り締めた手は痙攣していた。
心細いからと同室を申し出てこの有様とは情けない。
寝返りをうとうと千鶴が身を揺らすと、闇が動いた。
千鶴の手に斎藤の右手が触れる。
「斎藤さん…?」
「死んだと勘違いされては困る」
ほのかな温もりを持つその手に千鶴の恐怖はゆっくりと癒されて、今度は頭上を覆う満開の桜の夢を見た。
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続き>
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なんだかこっちの連載の斎藤さんが可哀想になってきました。
次でようやっとこの話でやりたかったとこに足が乗っかります。
このままじゃ斎藤さん生殺し話ですからね…