狼達の矜持 5




 千鶴と斎藤が石塀小路で再会してさらに半月がたった。初めて斎藤が山崎の代わりを勤めてからというもの斎藤はそれまでと比べると頻繁、といっていいほどに石塀小路の別宅を利用するようになっていた。
 千鶴はあれきり元斎藤の自室だった部屋と布団をそのまま使うことになり、奥の間は山崎が自分の文と資料で占領しつくしていたので斎藤は訪れた際は床の間を自室代わりにするようになった。
  山崎と家で二人きりになっていてもさして気に留めない千鶴だが斎藤がついているときは勝手が異なった。指一つ動かすにも何かおかしくはないか、それよりも忍んでいる斎藤への恋心が表れていないか気になり、食事が喉を通ってもその味が記憶に残らないっといった風だった。
 さらに夜は襖を隔てた隣で斎藤が眠っている。と考えて寝付くのが遅く、よく寝不足になる。
 しかし、千鶴は斎藤と二人きりになる時間を楽しんでいた。斎藤の別宅で、斎藤と過ごす、まるで夫婦のような時間。戸外に出ることを禁じられ、屯所にも戻れない身だとしてもこのまま…、斎藤が衛士の間者で自分は隠遁の身でもいいではないかという思いに囚われることもあった。
 この日もまた、斎藤が山崎の代わりを買って出て石塀小路に泊まることとなり、千鶴は風呂の準備をしていた。ところが庭にちらりと小柄な人影が見える。縁側から庭に出るが誰もいない。
 引っ掛かりを覚えた千鶴は庭に出て垣根と家の間の隙間を覗いく。すると。
 人がいる。
 それは千鶴に逢魔時、跋扈する妖怪を連想させた。
 近寄らず家に戻って斎藤を呼ぼうとしたが「それ」のほうが千鶴に近づいてきた。
 それが何か一目で理解する。
 千鶴にとっての悪夢だ。
 真っ白な髪と赤い目をした自分。
 ここには姿見が置かれていたのだったか。
 なら自分は…知らぬ間に鬼としての本領を発揮してしまったのか。
 羅刹とどう違うのか、血に狂わないのか。
 おののく千鶴の前で鬼の千鶴は微笑する。
 にぃ。という表現の似合う笑みだった。
 血に対するものかは分からないが明らかな狂気がそこにある。
 千鶴の意識はそこで失われた。
 
「雪村、しっかりしろ」
 抱き起こされて、頬を軽く打たれる。
 千鶴が目を開けると斎藤の顔が間近にある。
 珍しいことにその瞳は不安そうに揺れていた。
「斎…藤さん」
「何があった?」
 問われて気を失う直前のことを思い出すと体に震えが起こった。
 悪鬼のような自分。禍々しい微笑。
 自分がおかしくなってしまったと思うと千鶴は恐ろしくて息が上がる。
「斎藤さん…、私…私…」
「落ち着け、自分で意識してゆっくりと呼吸しろ」
 まっすぐに、見つめられた瞳はもう揺らいではおらず。
 澄んだその色を眺めながら千鶴は深呼吸した。
「もう一度聞く。何があった?」 
 言われてそこの姿見に…と垣根と家の間を指差す。
 ところがそこに姿見などなかった。冷静に考えてみれば姿見があるはずもないのだが。
 千鶴の指差した先には薄闇だけが広がっている。
「気の…せい…」
「雪村、誤解が含まれていようと構わない。お前が起こったと感じた事を全て話せ」
 ともすれば自分の気が触れているととられることになる話だった。他の人間相手なら気のせいだったと言い張ることにして話さなかっただろう。
 けれど斎藤は今までいつも千鶴の話を聞いてきてくれていた。話したところで状況に変化がないと分かっているときも、他の誰もが取り合わないときも。千鶴の言葉を聞くことを厭わずいてくれた。だから千鶴は素直に自分の見たありのままを話すことにした。
 一通り話し終わった千鶴は斎藤に抱き起こされた姿勢でいることが恥ずかしくなり、腕の中から離れる。
 急激に動いたことで千鶴は右のわき腹に痛みを感じた。
 押さえても鈍く痛むので不審に思い腰紐を緩めてわき腹だけを露出させる。
 そこには青黒い痣がついていた。大きさは握りこぶしほど。
「斎藤さん…これは…」
 先ほどのことは夕刻に徘徊する悪霊か自分の勘違いかと思ったのに、青黒い痣は人為的なもので、何者かが千鶴を殴った証拠でもあった。
「一体どういうことなんでしょう」
 千鶴が斎藤の顔をみると、斎藤は千鶴にそっぽを向いていた。
 心なしか怒りがこもった声で言われる。
「…傷の様子はわかった。早く、しまえ」
 他からは見えないとはいえ庭で、男性にわき腹、もとい素肌を見せるのは大変好ましくない。
 
 はしたない女だと思われてしまった…。

 首から上を真っ赤に染め上げて俯いた。その横を斎藤が通り過ぎ縁側へ向かう。
「もう上がれ、物騒な輩がうろついてるようだ。日が暮れたら庭へも出るな」
 うなずいて千鶴も斎藤に続いて家へと上がりこんだ。



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事態は進めど
こちらの連載はまーだ書きたい場面にたどり着かない感じです。 でも転パロほどには続かない…はず。