狼達の矜持 4





「斎藤さん、衛士のお仕事は大丈夫なんですか?」
 ここに来る時間をつくることによって斎藤を怪しく思うものも出るかもしれない。
 千鶴は夕飯を台に並べながら尋ねた。
「問題ない。久しぶりの休暇だ」
 その休暇を、新選組の間者としての仕事で使っている。
「お仕事ばかりじゃないですか」
「休日なのだから何をしてもいいだろう」
 斎藤の仕事の没頭ぶりに千鶴はため息をついた。
「衛士の方たちは今どこにおられるんですか?」
 汁物をすする斎藤の瞳に千鶴がちらと映る。知らないのかと責めるような色があった。
「皆さん、衛士の話はしないんです…」
 椀を置いて斎藤はゆっくりと言う。
「高台寺の月真院だ」
 千鶴は茶碗こそしっかり持てていたが、カランと音を立てて箸を落としてしまった。
「高台寺って、すぐそこじゃないですか!」
 石塀小路から高台寺はご近所といっていいほどに近い距離だ。
「そんな近くで生活していたこと、知りもしませんでした…」
「外出を禁じられていたのだから無理もない。前の道ををずっと奥に進んだ通りなどは平助もよく通っているがここにはあまり踏み込まないしな」
「今日は驚いてばかりです、斎藤さんが来たときもとても驚いたんですよ。黙って入ってくるから泥棒かとも思ったんです」
 少しの怒りをこめて教えると斎藤は苦笑して答える。
「ここは俺の別邸だ、挨拶して入るのも不思議かと思うが」
 ゴトン、と千鶴の茶碗が台にあたる音がする。
「さ…斎藤さんの別邸ですか……!」
「任務に就くことになった際、副長に経費を落としていただいた。組との打ち合わせ、密会に使うために。屯所の荷物を移したもののここで過ごす事は滅多になかったが」
「こんな衛士の屯所の近くに密会や打ち合わせの場所を用意して大丈夫なんですか?」
 千鶴は台に転がる茶碗を起こして聞いてみた。
「用もないのに遠くへ赴くほうが帰って怪しい。衛士の目の届かぬところで何事かしでかしている、という風にとられる。ここならば衛士の屯所の近くだ。俺が出歩いていても屯所への行き帰りと見られるだろう」
 灯台元暗し、というわけらしい。
  「斎藤さんの家に転がり込んでたなんて…」
 どうりで急な話だったのに準備が行き届いていたと千鶴は納得した。

 土方さんってば、本当に、周到すぎます…。

 土方の計算高さに感心、感謝をこえて小憎らしい気持ちが湧く千鶴だった。


 この家が土方の、ではなく斎藤の別邸と判明したことで千鶴の中に一つの問題が浮上した。
 千鶴の今使用している部屋だ。
 他の部屋には調度らしいものがなかったがこの部屋にだけはささやかながら生活の痕跡が窺えた。
 夕食の片づけを済ませ、ここ十日ほど自室であった部屋に入ると斎藤が先に居た。
 奥の間から文机を持ってきていて、何かを書きとめている。
「あの、斎藤さん」
「何用だ」
「お聞きしたいんですがこの部屋って…」
「俺の自室だが」
「…………」
 やはり、と千鶴が事実を受け止めるのに時間がかかっていることを斎藤は別の意味で受け取ったらしく文机に向かったまま言う。
「奥の間は元々使っていない。これまで通りに使ってくれ」
「いえ、あの。奥を使っていたのは山崎さんで。私も、ここに来てからこの部屋を使っていたんです…すみません。すぐ荷物を移します」
 荷物を閉じこんだ押入れに千鶴が向かおうとすると斎藤が千鶴の方を向く。
「この、部屋を使っていたのか…?」
「すみません、知らなくて…お布団なんかもそろっていたから山崎さんが気を利かせてくれて…」
 当初布団が一組しかなかったので山崎は布団を千鶴に譲って畳にごろ寝していた。
 説明しているうちに千鶴には斎藤の頬に赤みが差しているように見えた。
 
 なぜだろう、お布団のことがそんなに…。
 
 斎藤が赤面している理由に気がついて千鶴は一気に顔が熱くなった。

 あれは、斎藤さんのお布団だったんだっ…。私、ずっとそれを使って……

 早く頬を冷やしたい、斎藤は千鶴から顔を背けていて、怒らせてしまったと思った千鶴は荷物を後日に回すことにして早々に立ち去ろうとした。
「私、床の間で寝ますから。斎藤さんはどうぞここで!…失礼します」
「待て雪村」
 斎藤が千鶴の腕をつかんで引いた。
「きゃ」
 安定を失って尻餅をつく千鶴とは対象に斎藤が立ち上がる。
「お前がこの部屋を使え、俺が隣に行く」
「そんな、申し訳ないです」
「俺が良いといっているんだ。今まで使ってきたようにするといい」
 言い残して斎藤は襖をぴしゃりと閉めた。千鶴が立ち上がるまでに隣どころか奥の間まで行ってしまったらしい。
 千鶴も頬の熱が冷めぬことには追いかける気にはなれなかった。
 思えば部屋と布団を斎藤に返したところで今日まで千鶴が使っていた布団に斎藤が寝るということになる。それに途方もない気恥ずかしさを感じたのだ。
 就寝の準備をしてもますます頬の熱が増すばかりで、布団の中に潜り込めず、千鶴はかけ布団の上で夜を明かすこととなった。


 斎藤はというと床の間を突っ切り、外まで出て井戸へと向かった。
 汲み上げた冷えた水を勢いよく顔にぶつける。
 表にこそ出なかったがこの日、冷静さでは人後に落ちない斎藤も大いに動揺させられていたのだった。



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 なんだろう、この異様な初々しさは…。
中学生日記状態ですな。