狼達の矜持 3




 表口に立ち、斎藤は角から姿を現した千鶴を見た。
 鯉口は切られたままだ。
「何故、あんたがここにいる。ここに居るのは山崎だけのはずだが」
 問われて千鶴も斎藤の来訪に疑惑を持つ。
 ここへ来たということは斎藤が山崎の代わりなのか…。
 斎藤はもう新選組の人間ではない。むしろ敵対勢力の側なのに、なぜここを訪ねるのか。
「斎藤さんこそ、なぜここへ来たんですか」
 千鶴がまっすぐに瞳を見つめると、斎藤は小さく息を吐いて言う。
「あんたの事情がわかるまで俺は何も言えない。山崎は奥か?奴から話を聞かせてもらおう」
 言うが早いか斎藤は上がりこみ、無言で千鶴とすれ違って奥の間へと進んでいく。
 千鶴も体を翻し、急ぎ奥の間へと足を向けた。  
 
「やはり、あなたでしたか」
 斎藤が訪れたことは山崎の予測通りだったらしい。
 お変わりないようで、と一礼する山崎に斎藤は早速だがと話を切り出した。
「何故雪村がいる?何が起こった」
 千鶴という不測の要素が加わった理由を聞き終わるまでまで自身については語らない。用心の徹底した斎藤の態度に感心しつつ山崎は怪しい脅迫文と千鶴や羅刹の秘密が何者かに握られていること、石塀小路に潜むまでの経緯を語った。
「なるほど、土方さんもうまい配置をしてきたものだ。俺の現状をこいつも知って構わんということか」
 山崎の説明が終わった後、斎藤もようやく自分に関する事柄を明らかにする気になったらしい。
「雪村、お前には黙っていたが俺は新選組側の間者だ」
 それで、と千鶴にもこれまでのことが腑に落ちた。

 任務だったんですね。志の変化も、突然の別れも。
 そんなのひどい、と知らず投げつけた言葉をただ受け止めて。

 あの朝からの斎藤の一挙手一投足が任務によるものだった。
 教えてほしかった。という気持ちはある。けれどそんなことできるわけがないことは良く分かっていた。
「それは極秘、ですね」
「そうだ、今もって継続中の極秘任務だ。幹部でも土方さんと近藤さんしか知らない。本来ならば今日明かすのは山崎のみだった」
 間者にとって潜入先で正体が露見することは最悪の事態だ。真実を知る者は限らねばその身が危うい。
「斎藤さん、お一人がですか?平助君は、一緒じゃないんですか」
 斎藤の眼差しは床に落とされて、長い睫毛が目の下に影を生む。
「平助は違う、あいつの離反はあいつが意思を通した結果だ」
「そうですか…」 
 平助も間者なら、やがてはまた、元通りに幹部が戻ってくるということなのに、と落胆する千鶴を置いて山崎と斎藤は今後のやり取りと今日のことを申し合わせをおこなった。
必要なことを伝え終えると山崎はあらかじめ整えていたのだろう外出の用意を手にし、立ち上がる。
「明日の昼には戻ります。斎藤さん、雪村君をお願いします」
「承知した」
 出掛けに山崎は千鶴に耳打ちする。
「副長には、雪村君が元気になれたと報告できそうだ」
「あの、山崎さん」
「君もあの人は良い采配をすると思うだろう?」
 千鶴は送り出される間際の土方を思い出す。
 全て、分かって言っていた言葉の数々。
 聞き返したあの言葉、千鶴の気持ちを知っていて、本当はこう言っていたのだ。
『うじうじしやがって、そんなに会いたいなら会わせてやる。だから「ちっとは元気になって来い」』
「山崎さん、土方さんにありがとうございますって伝えてください」
 千鶴の笑みに山崎も誇らしそうな微笑を返した。


 山崎が出て小半時、洗濯物を干し終わった千鶴は斎藤の真似をして縁側に腰掛けた。
「よく、晴れていますね」
「ああ」
 隣の建屋が塀の代わりになっていて他所からは庭の様子は窺えない、よい点ではあるがその分見える空は小さい空間。
「洗濯物が早く乾きそうです」
「そうだな」
 沈黙。
「すっかり暑くなりましたよね」
「ああ」
 斎藤は無口だ。それでも屯所に居た時千鶴は斎藤の傍によく居つき、他愛ない会話をしていたのだが。
 久しぶりの会話は間がつかみにくくて、少しだけ強張った静寂が訪れる。
 それを破るため、千鶴は少し気にかかっていたことを尋ねてみる。
「あの、平助君は元気ですか?」
 ほんのわずか、斎藤の眉根がよる。
「ああ、変わりない。…そんなに平助のことが気がかりか?」
「はい」
 千鶴にとって平助は話しやすい友達だった。斎藤への思いも気づいていたらしく、時折千鶴に気を回してくれていた。どう過ごしているかは気にかかる。素直に頷けば斎藤はふっと息をつく。
 なぜか、機嫌を損なってしまった。と千鶴は感じた。斎藤が感情を表に出すことは少ないので読みにくいのだが。
「あいつに間者であってほしかったか?」
「…はい。だって平助君も間者だったならまた前のように戻れるでしょう?それに…」
「…どうした」
「それに、斎藤さんの心がずっと楽だっただろうから」
 寝食共にし続ければ衛士の面子に愛着も湧くだろう。平助は常日頃から斎藤を一君と呼んで親しんでいる。それを偽り続け、ひょっとしたら命を奪う結果の種になりかねない動向を探し続けなければならない、というのは相当な負担ではないか。
「苦痛や心痛に満ちていようと、誰を欺こうと、誰を殺すことになろうとも、俺はそれで構わないんだ。それが俺の任務である限りは」
 千鶴の胸に昨日の山崎の台詞がよみがえる。
 期間も、場所も、所属も、内容もこだわらず、任務を果たす。
 そうすることがこの人たちにとっての誇りなのだ。
「お前には、非難されるやもしれないな」
「いいえ、その姿勢はとても誇り高いと思います」
 千鶴がそう告げると斎藤の滅多にほころばない口元がくっきりと笑みを形作った。



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やっと登場斎藤さん
元で斎藤の千鶴呼びが「あんた」と「お前」とあるんでもううちでは両方使うことにしました。
使い分けはしますけれど。
ところで、書きたい場面が3、4に来ると書いたことがありますが
なぜか辿り着きません!
だらだら伸びそうですっっ
従ってもう少し続きます。