狼達の矜持 2
京の東にある石塀小路の借家へ隠れて十日ほどが過ぎた。
土方に指定された家は小さいながらも庭付きで、生活用品も整えられていた。
千鶴にあてがわれた部屋は箪笥といくつかの調度の揃った日当たりのよい部屋だった。土方が妾宅にでも使うつもりの場所だったのか、箪笥の一番下の引き出しにだけ黒や藍など抑えた色の着物と一本の刀が納められていた。
山崎は床の間を挟んでひとつ奥の部屋で生活している。
来た当初、屯所とは違う静けさに心細さを感じ、寝付けるか不安だったが用意された布団に横になるとどこか懐かしい匂いがする気がして、いつのまにかぐっすり寝ていた。
数日過ごすうちに隠遁生活にも順応し、晴れて屯所に戻る日を待つ日々が始まった。
よほどのことがなければ千鶴の事情を知る幹部をこちらにやることはない。と土方が言ったとおり、親しくしていた幹部達の訪れはなく、外と接するのは二日に一度手配されている者が入り用の物を渡しにくる程度。
代わり映えしない日々が過ぎていった。
変化がないというより何事かが起こっていても知らされない限り知りようがない日々、とも言えるのだが。
隣の部屋に目をやると山崎は文をしたためている。
こちらに来て以来、山崎は文机について屯所とのやりとりのための文の作成に多くの時間を割いていた。
空いた時間で千鶴の話相手をし、庭で鍛錬をする。
本当は土方さんの側で少しでもたくさんの任務をこなしたいんだろうな…
屯所の異変をすぐに知ることができない自分の側に山崎を付きっきりにさせてしまっていることを千鶴は申し訳なく感じていた。
「山崎さん、ごめんなさい。私なんかに付き合わせてこんなところに留まらせて…」
文机にお茶を差し出しながら千鶴が言うと山崎の首が横に揺れる。
「俺には任務の場所や期間を選ぶ権限もその気もないんだ。君に付くのも他の任務も俺は自分にできる事を果たすのみ」
山崎の任務に対する姿勢は自分の思っていたよりずっと研ぎすまされているものと知って千鶴は自分の口にしたことは余計な事だった、と恥じた。
任務。
千鶴はその二文字に強く自分の存在意義をかける人を思い出す。
山崎と同じくらい、あるいはそれ以上に組の仕事に志を捧げた人。
今は…衛士の仕事に自分の魂を捧げているんですか…斎藤さん。
そう考えると胸が痛んだ気がして、千鶴は盆で胸を押さえながら立ち去ろうとした。
「雪村君、まだ話がある」
「あの…」
「そのうち丸一日、俺はここを空けなければならない。その間君を一人にしては俺が付いていた意味がない。代わりの要員が来るんだ。」
「はい…あの」
密命の多い山崎に何の用で出るか問うつもりはない。しかし気になる要素が説明から抜けている。
「代わりはどなたが来るんですか?」
山崎はわずか間をおいて言った。
「俺も知らされていない」
「え…」
「予測はしているけれど俺の想像の域を出ないものを話すわけにもいかない。誰にせよ君を任せるんだ、副長の信の厚い方に違いない」
「そう、ですか」
千鶴が新選組で学んだことの一つに機密や秘されていることには触れないようにすること、がある。触れた場合は命を失う結果になりかねないからだ。
近々わかることならば、と千鶴も深追いすることはやめ、空になった湯飲みと共に引き上げた。
翌日、千鶴は縁側から高い位置に昇っていく太陽を見ていた。
よく晴れた日になりそう。
片づけるつもりの洗い物を取りに行くと表口ちかくの廊下で物音がした。
山崎さんは、奥にいるのに。
角の向こうの表口の様子は窺えない。踏み鳴らされた床の音で人だとわかる。
言葉一つ発さない侵入者を見るのが恐ろしくて千鶴の体はその場に硬直した。
不逞浪士や空き巣だろうか…
はたまた、千鶴の命を狙った脅迫文の主か。
山崎の所に駆け込もう、決意したその時。刺すような厳しい声が発せられた。
「山崎ではないな、名と所属を言え」
厳しい、けれど凛として低いこの声は。
斎藤さん…!
数ヶ月ぶりに耳にする声色に千鶴の心は浮き立った。
一方、角に隠れて千鶴の姿が見えない斎藤は返事のない気配に殺気を強める。
「名乗れるものではないと言うことか?」
鯉口の鳴る音が耳に届き、斎藤との再会に我を忘れていた千鶴は慌てて名乗った。
「斎藤さん、私です。雪村千鶴です」
表口にたたずむ斎藤は春から変わりないままそこにいた。
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なんで斎千なのにこんなに山崎が出張ってくるんだろうと
書いてて不思議になりました。
というかもう山崎の口調にも悩みました。
最初書いてたときは千鶴にも敬語だったんですよ…
直しましたけど