狼達の矜持 1
伊東率いる御陵衛士が新選組と袂をわかち衛士達が去ったことでできた隙間が埋まりつつある頃、幹部達に新たな混乱が投げ入れられた。
発端は一通の文だった。
――雪村千鶴を斬らねば新選組にいる羅刹の存在を公開する。
表向きは「雪村」とだけ呼び、女性である正体が露見する名は呼ばなかった。幹部によって秘されている「千鶴」の名と羅刹の存在がなぜ文の主に知られているか、なぜ千鶴の命を要求しているか、奇妙なことだらけの脅迫文だった。
しかし羅刹の存在を持ち出されて黙しているわけにもいかない。
この脅迫にどう対応するか幹部の協議が行われることになった。
最悪、千鶴の命を奪う決断を下す可能性も含めて。
命を奪われる結論が出るかもしれない合議の間、千鶴は自室で静かに自分の身に下される沙汰を待っていた。ふと初めて新選組の屯所に来た日のことを思い出した。あの時と同じだと。
ううん、同じではないわ。
懐かしいと思う気持ちはすぐにかき消えた。
あの頃はまだ八木邸を屯所としていたし、隊士も羅刹も少なかった。
そして…。
平助君と、斎藤さんがいたな…。
幹部の中でも年若い二人が伊東について出てから数ヶ月たつ、しかし桜を前にした別れ以来会うことはおろか文すらない。
離反した幹部の話題は避けられて一月、二月と過ぎるうちに名前すら聞くことがなくなった。
今や斎藤の存在を思い起こさせるのは別れ際にもらった花びらひとひらだけだ。
このまま斬られることになったら、貴方は私が死んだことさえ知ることはないんですね…。
新選組に匿われている娘と新選組ときっぱり縁を切り衛士として生まれ変わった者。千鶴と斎藤の関係、というのは何の変哲もない見えないほど細い蜘蛛の糸のような頼りないものだった。安否を気遣うことなくても責められないような関係。
でも千鶴からはそうではなかったのだ。
皆が忘れ去ろうとしているのに、屯所のそこかしこに斎藤の居た軌跡を思い出す。
にぎやかで親しみやすかった平助もいなくなったこともあいまって千鶴の心は斎藤とのわずかな交流の思い出から抜け出せず、時とともに沈む一方だった。
「雪村君」
戸の向こうからの山崎の呼び声に千鶴の体が跳ねた。
結論がでたのだ。
部屋を出る前に千鶴はすばやく花びらを懐紙に包み直し、胸元に潜ませた。
山崎の先導で合議が行われている部屋へと歩む。
前を行くその人は無言のまま表情も隠し、様子からは合議の結果は読みとれない。
歩く度、足下の板がきしむ度、千鶴は目眩が起きるような緊張にさらされる。
合議の間の障子が開かれるとすぐ横に柱にもたれた沖田がいた。
「やぁ千鶴ちゃん、結果なんだけれど、君にはとりあえず死んでもらうことになったよ」
にこやかな顔で軽やかに告げられた。
死んでもらう。
その言葉に千鶴の足は震え、こめていた力が抜けていった。
沖田はそんな千鶴の体を優しく抱き止めて支えながら続ける。
「やだなぁ、早とちりしているね。君を斬ったり殺したりするわけじゃないんだよ」
混乱して千鶴が沖田を一心に見つめていると土方の低い声が響く。
「総司、わざわざ紛らわしい言い方すんじゃねぇよ。千鶴、ひとまず安心していい、お前は死んだことにして身を隠させる」
「本当…ですか」
「脅迫文の主がどこまでつかんでるかも怪しいんだ。とれる手段がある限りそんなこと近藤さんが許さねぇよ」
さっさと散れ、と土方は千鶴と山崎以外の幹部を追い出し始める。
「ひとまず、だよ。まだ片付いたわけじゃない。覚悟はしておくように」と沖田。
「他の連中には見事に腹を切ったって伝えておくからさ」と原田。
入り口に立つ千鶴に声をかけ終わった幹部たちは隊務へと戻っていった。
障子を隔てた廊下に人の気配がなくなってからようやく土方が口を開く。
「さて、千鶴しばらくの間お前には屯所からも離れてもらう」
「それで…いいんですか…」
「もちろん見張り付きだ。山崎に行ってもらう、幹部をやれば露見しやすいしかえって余計な奴の目をひくしな」
土方は必要な物は手配するから一切の外出を禁じること、父親探しができないことを 千鶴に詫びたが千鶴は新選組のための死すら覚悟の上だったのだから過分な処置だった。
「あと山崎をこちらに来させている際やお前につけられない時は代わりがいる。その時まで明かすことができねえが…そいつも俺の命で動いているからな」
「あの…土方さん。言ってる意味がよくわからないんですが」
「今はわからなくていい。けどしっかり覚えとけ、で、その時がきたら思い出せ」
「は…はぁ」
さっぱりわからない。けれど返事だけはしている千鶴の顔をみて土方はなぜかほんの少し、口角をあげて囁く。
「ちっとは、元気になって来い」
「え?」
聞き間違いかと思った千鶴が問い返しても土方はその件は終わりと答えなかった。
荷物をまとめて来いと手を払う土方に千鶴は別のことを尋ねる。
「土方さん、私はどこに身を隠すことになるんですか」
ああ、と土方の目がなぜか細められた。それだけで千鶴に何か悟れといわんばかりに。生憎と千鶴に土方の意図はつかめないままだったが。
「お前には石塀小路へ行ってもらう」
<戻る
続き>
*----------------------------------------
書きたいシチュがあったから話を組んだんですが。
舞台を整えるのに手間取ることが判明しました。
このままだと書きたいところに行き着くのは3か4じゃ…?
中篇程度の話になるかと思います。